にらさき日記

20代男性のブログ。旅行、写真、F1など

Formula E Tokyo E-Prix 2026に行ってきた!Season15観戦記(前半) :ピットツアーに当選した話

2026年7月24~26日の日程で東京・有明で開催されたフォーミュラE・Tokyo E-prixの観戦に行ってきました。今回の記事ではTokyo E-prixでの日曜日の観戦の様子を取り上げます。ピットツアーにも当選しましたので、ツアーの様子が今回の記事のメインとなります。

フォーミュラEの概要については、以前投稿したこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

レースは今回取り上げる日曜だけでなく土曜日にもありました。その様子はこちらの記事をご覧ください。

ma-te.hatenablog.jp


3日目(FP3・予選/決勝 Season15)
1. FP3/フリー走行

開門の30分後から開始のFP3の時間帯に夕立があり、FP3は中止となりました。開場時よりグランドスタンドへの入場は取りやめとなり、フリースペースであるアリーナでの待機となりました。

3日目の開門では大雨のためグランドスタンドへの立ち入りは禁止となり、代わりにアリーナへと案内されました。

アリーナではFP3が延期になるか中止になるかよくわからない時間がありましたが、ピットの人員も含め総員退避の指示が出て間もなく、FP3の中止が決まりました。

コースの周りには避雷針はなさそうなので落雷したら一発アウトに近い状況ですから仕方ないですね。

 

2. ピット見学

前回の記事では触れませんでしたが、Tokyo E-prixの会場に入場したところでは、QRコードが印刷してあるカードがもらえます。QRコードにアクセスすることで当日のグリッドウォークやサイン会への参加権が抽選で当たるようになっています。

QRコードが印刷してある抽選カード。デザインはいろいろある。

前回の記事で全く触れなかったことから察しがつくように、前日は応募したものの落選していたのですが、今回は当たりを引きました。当たったのは、なんと「オフィシャルカーのガレージツアー」!

前日にXに出ていた情報ではサイン会とピットウォークがあるらしいと分かっていましたがガレージツアーがあるとは!

当選通知とメール。メールのさらに下の部分にコードと会場地図が記載されていた。

ただし、当選が分かった状況はFP3の中止が決まった直後で、全スタッフが屋内に退避していた段階でした。ピットツアーは1時間後の予定であるかもわかりませんでしたが、とりあえず集合時間まで待機。

前日一緒に観戦して、この日は別行動で上野で大英博物館日本美術コレクション展の鑑賞に赴いていた彼女氏に連絡を取りましたが間に合わなさそうだったので諦めてソロ参加にしました。

daiei-ten2026.exhibit.jp

時間を待って、ファンビレッジ内にある集合場所のポルシェの物販店に向かいました。集合場所では欧米人と思しきお兄さんに2人で参加するかを聞かれました。

かつてTwitterを賑わせたネタ会話、” Do you have anyone to come with?” "Unfortunately I'm alone"を発動したものウケることなくそのままスルー。ウケ狙いでやると面白くないんですね、これが。もとのツイートは掘り起こせませんでした。

ツアーに向かう前にプラスチックのパスを渡されました。

ツアーに参加したのはおおよそ7~8人でした。数万人規模のイベントでこの人数の当選ですから、かなりの倍率ですね。

お兄さんは集合場所の担当だけだったようで、金髪の欧米系と思しきお姉さんと通訳のたぶん日本人のお兄さんの2人に引率されてツアーに向かいました。お二人の話が聞こえてきましたが、こういった取り組みはFormula Eでは日本が初めてなようです。

2人に連れられて人もまばらな雨上がりの会場を通っていきます。途中でEmotion Clubという高額チケット購入者が嗜むラウンジを通りすがりに覗くことができました(写真はなし)。

通常のチケットでは渡れない歩道橋が目の前にあります。

コースを跨ぐ歩道橋から。カートレースと通常チケットのグリッドウォークが開催中。
グリッドウォークのチケットは自分が見たときには売り切れていたので、この景色を見られただけでも嬉しかったです。

歩道橋の向こう側。写真左手には各チームやFIAのピットが、右手にはカフェと部品倉庫がありました。

一番奥がオフィシャルカーのガレージですので、歩きながら各ピットの入口をチラッと覗くことができました。写真を撮れたチームだけを紹介していきます。

ローラ・ヤマハ。

クプラ・キロ。前日の最終ラップで1位を決めたDan Ticktum所属のチームです。

シトロエン。予備のノーズコーンを展示しているチームが多いですが、このチームはありませんでした。クラッシュしていたわけではないのですが。

エンビジョン・レーシング。ジャガーのパワートレインを使っています。

リバティーウォークとのコラボが注目のアンドレッティ。予備のノーズコーンも特別塗装で揃えて来ています。前日のクラッシュから決勝に間に合ったのはきっとこういった準備があったからなのでしょう。

DSペンスキー。黒と金の車両はドライバーごとに黒/金の使い分けが若干異なります。

ホームレースで注目の日産

ジャガー

ポルシェ

オフィシャルカーのガレージ。オフィシャルカーの提供はポルシェのためか、ポルシェの隣にピットがありました。

ガレージツアーは、フォーミュラEの安全管理のチーフ?を務めているBruno Correia氏に英語でフォーミュラEの簡単な案内とQ&Aセッションをしていただき、おしまい、という流れでした。もちろん日本語通訳付きで、下の写真のピンクシャツの女性の方が和訳して伝えてくださいました。

ピットではセーフティーカーのドライバーも務めるBruno Correia氏に説明を受けました。

Bruno氏からのフォーミュラEの説明の要点はおおよそ以下の通りでした。
・Formula Eは電気自動車のF1とも呼ばれるが、いくつかの点で異なる。
・Formula Eは環境にやさしくするために電気自動車を採用して、タイヤ交換もなくしている。
・電気自動車であるために加速が早いのが特長
・2014年に始まり年々マシンを改良しており、来年のGEN4では更にパワーアップする

もう少し詳しかったはずですが、管理人が覚えている限りではこのくらいです。

見学させて頂いた車両は調整中でした。奥の紫の車がセーフティーカーです。

Q&AではBurno氏に管理人から質問をする機会を得ました。拙い英語でなんとか質問の意図は伝えられました。

管理人からは歓迎を頂いたことへの感謝を伝えた後に「F1ではセーフティーカーのドライバーは20年以上同じ方が務めていますがFomula Eではいかがでしょうか」という質問をさせて頂きました。

頂いた答えとしては、 
・Formula Eが始まった2014年からセーフティーカーは私がずっと運転しているよ
・F1のメディカルカーの運転もしているよ。今日はブダペストのハンガロリンクでF1をやっているけども、そっちはスキップして東京に来たんだ。
・WTCC(世界ツーリングカー選手権・2017でシリーズ終了)のセーフティーカーのドライバーもやっていて、もてぎでも運転したことがあるよ。でした。

無知ですみません(心の声)、といった感じでした。返答への感謝はもちろん伝えましたが、質問して答えてもらった後のリアクションは難しいですね。

F1日本グランプリ2026@鈴鹿サーキットにて、セーフティーカー(左)とメディカルカー(右)。このときもBruno氏はメディカルカーを運転していたかもしれない。

もう一人の方が私の後に「今回の東京のサーキットはどうですか?」と尋ねておられ、「世界のナイトサーキットの中で一番見通しがよく、コースの隅々までよく見えるよ」とお返事されていました。

そんな感じでピット訪問は終わりました。最後に集合写真を撮って頂きましたが、どこで公開されているのでしょうか… 欲しいのですが…

ピット裏に停めてあったオフィシャルカー。左の日産車はExtrication car(救助車)、右のポルシェ車はメディカルカーです。

ピットツアーの後はそのまま予選ということで、観戦にスタンドの自席へと向かいました。

記事の最後にスタンドとコースウォークの際に眺められたオフィシャルカーのピットの様子を掲載します。

予選の際にスタンドから眺めたオフィシャルカーのピット

レース後に撮影したオフィシャルカーのピット。

レース後に撮影したセーフティーカー

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Formula E Tokyo E-Prix 2026に行ってきた!Round14観戦記

2026年7月24~26日の日程で東京・有明で開催されたフォーミュラE・Tokyo E-prixの観戦に行ってきました。今回の記事ではTokyo E-prixでの観戦の様子を取り上げます。フォーミュラEの概要については、以前投稿したこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

今回のFormula E東京大会には日本企業からは日産とヤマハの2チームが参加しました。
日産1号車 Oliver Rowland選手

日本企業のもう一チーム、ローラ・ヤマハは夜に映える黄色のデザインでした。

1日目
初日の金曜日はフリー走行1が予定されていましたが、近隣住民のみに開放されたため見物できませんでした。管理人は仕事運用だったため、記録はありません。写真付きの公式記事があったのでそちらを紹介します。

fe-navi.com

2日目(FP2・予選/決勝 Round14)
ここからは一般公開です。フリー走行のFP2が13時半から予定されていました。13時の開門の少し前に現着したのにも関わらず、会場のスタンドの自席にたどり着けたのは14時前でした。

午後開門なので自宅発を遅めにしても、午前に別の場所の訪問されてもよいでしょう。管理人は日本科学未来館で開催されていた「大南極展」を見てからレースに向かいました。

www.nipr.ac.jp

会場の東京ビックサイト。ゆりかもめで新橋から向かいました。

会場内はFomula E一色にされていました

開門前から長蛇の列になっていました。

フリー走行/FP2
スタンドの自席にたどり着いた際にはちょうど応援チームであるアンドレッティの28号車・Felipe Drugovich選手がコーナーを曲がり切れずクラッシュして、赤旗で走行自体が中断されていました。

このクラッシュでアンドレッティ28号車はマシンを組みなおすこととなり、この日の予選は欠場、決勝は最後尾からスタートすることとなりました。

マシンの撤去自体はすぐに終了し、フリー走行自体はすぐに再開されました。

また、撮影の面では日が高いうちにマシンが走行するのはFP2と翌日の同時間帯のFP3(雷雨でキャンセル)のみだったたため、FP2が夏の日差しに照らされたマシンをカメラに収める唯一の機会となりました。撮影成果を供覧します。

スタンドの最上段からはホームストレートを駆けてくるマシンを眺めることができた。

リバティーウォークとコラボのAndretti 27号車・Jake Dennis選手。僚車はリタイア後。

LOLA・YAMAHA11号車

日産1号車・Oliver Rowland

日産23号車

ポルシェ94号車

PENSKE77号車

Envision16号車

フリー走行後はすぐに屋内のファンビレッジへと移動しました。

7月末の東京の炎天下は暑すぎます。写真趣味としては晴天下でマシンを撮影できることは嬉しいのですが、炎天下で1時間以上過ごせば容易に熱中症になってしまいそうでした。ビックサイトのホールが休憩スポットとして開放されているので途中で切り上げることはできなくもないのですが、往復の新幹線料金+チケット代を払ってきている身としては時間が惜しい。

管理人は、ユ●クロのエア●ズムを着用していましたが、風がない直射日光の下では全く機能しませんでした。エアリ●ムの機能はクーラーの効いた部屋に入った途端に実感できました。風がないのは厳しいようです。暑さ対策自体はどうあがいても難しいので、帽子やアームカバーで日差しをよけること、そして水分補給が熱中症予防に重要そうです。

 

予選 Round14

FP2はこれぞ東京の夏といった炎天下で行われましたが、予選がある夕方には曇ってきて、ある程度ましな暑さになってきました。指定席ということもあってか、レース中は走行中のマシンの走行状況をフロントカメラ映像を含めてリアルタイムで把握しつつ、日本語での実況を場内放送で聞くことができ、実際の状況を把握しての観戦をすることができました。

予選でポールポジションを獲得したのはリバティーウォークとのコラボカラーにマシンを包んだアンドレッティの27号車のJake Dennis選手です。

夕日に車体を輝かせて出走していくJake Dennis選手

Jake Dennis選手操るAndretti27号車

Formula Eの予選は他のレースと異なり、Group A/Bの2グループに分けられた中でトーナメントの勝ち上がりで決勝のポジションを決めていく方式(Duels)となっています。

予選を勝ち抜いたDennis選手はGroup A内で勝ち上がっていき、特に最後のGroup Aのトップを決める場面では勝負相手のポルシェ51号車のNico Muller選手がクラッシュ(Xの動画0:13あたり)に見舞われる中、完走してGroup Aのトップに躍り出たシーンが印象的でした(全体像がわかる公式動画はこちら)。

Group AのトップとなったDennis選手は同じくGroup Bで勝ち上がったマヒンドラ48号車のMortara選手との一騎打ちを制して予選を勝ち抜き、ポールポジションを獲得した。

ポールポジションを獲得したDennis選手が、予選でMortara選手とのタイム争いをする車載動画はこちらです。実際のフォーミュラカーから見た東京・お台場のシティコース一周の眺めが伺えます。

予選全体の公式まとめ動画が出ていたのでこちらに供覧しておきます。開始位置は予選の最終レースであるポールポジション争いの場面に設定しましたが、最初から見られたい方は動画の最初から視聴いただければと思います。

予選の後もそそくさとファンビレッジに戻りました。やはりクーラーの効いた室内は最高です。サウナで高温と冷水浴を繰り返す概念に似ていますね。

 

決勝 Round14

決勝が始まる1時間ほど前にはセーフティーカーとメディカルカーによるコースの最終チェックをがありました。その後にホームレーンでTシャツキャノンや和太鼓などの開会式前のイベントに続き、小池百合子都知事の挨拶、君が代斉唱を含めた開会式がありました。開会式前のイベントでは、コース全体の照明を全消灯の状態から連続的に2kmのコース全体を点灯させていく、さながらライブのようなパフォーマンスが印象的でした。

コースの最終チェックに向かうメディカルカー。そういえば右ハンドル車ですね。

セーフティーカーはこちら。メディカルカーと一緒でポルシェの車両。
撮影が間に合わなかったので、最終日のコースウォーク時の写真を代わりに。

夜間のレースではこれぞ夜の日本。といったふうに夏の夜風を受けながらレースを楽しむことができました。隅田川花火大会と日程がちょうどかぶっており、コースの照明の上にわずかに花火を見ることができました。

オープニング映像

会場を眺めるライブカメラにレーススタートの様子が写っていたので共有します。画面奥のホームストレートをスタートして20秒ほどで手前のストレートをテールランプで照らしだして連なって駆け抜けて行く様子が印象的です。

決勝中はスタンド前の実況中継を眺めつつ、適宜流し撮りをしていました。

日産1号車 Oliver Rowland選手

日産23号車 Norman Nato選手

ヤマハ11号車

ヤマハ22号車

Andretti27号車 Jake Dennis選手

Andretti 27号車 Jake Dennis選手

自席からは大体こんな感じの眺めでした。

Fomula Eの東京大会で実施されたSeason14のレースではAttack modeに加えて、レース中のピットゾーンでの30秒間の600kW急速充電(一般の電気自動車の急速充電は最大150kW程度)を用いて全バッテリー容量の10%を追加供給するピットブーストが義務付けられました。ピットブーストはコース幅が狭く追い越しがしづらいシティーサーキットのデメリットをカバーする方策で、翌日のレースであるSeason15ではは採用されず違いを楽しむことができた。

一日のまとめ動画が公式から出たのでこちらに供覧しておきます。

決勝では最終ラップの途中までのほとんどを、ポールポジションであったアンドレッティ27号車のJake Dennis選手がリードしていました。しかし、最終ラップでDennis選手が電欠間近となったところで2番手を走行していたCupura33号車のDan Ticktum選手がまさかの追い越しをして優勝をもぎ取りました。Ticktum選手のオーバーテイクの様子は下の動画を参照してください。

レース後にはレース初日にもかかわらずトラックを歩くことができたのですが、集合場所の案内が乏しく、表彰式の途中からの参加になりました。が、途中から大雨に見舞われ退散となりました。混雑の中、ゆりかもめに揺られてホテルへと向かいました。

コースウォーク中に見ることができた、アンドレッティチーム代表ロジャー・グリフィス氏が取材されている様子。表彰式で大盛り上がりのファンが後ろにいる状態で動画を撮っているが、音は拾えたのだろうか…

レース後の大雨に見舞われたトラックから。ピットのアンドレッティ28号車。

今回の記事はここまでです。2日目のRound 15については別の記事でまとめます。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

【追記】TVerでRound14全体の番組が公開されていました。番組内の広告がやや多いですが、ぜひご覧ください。

tver.jp

Formula E Tokyo E-Prix 2026に行ってきた!フォーミュラEの概要と有明会場

2026年7月24~26日の日程で東京・有明で開催されたフォーミュラE・Tokyo E-prixの観戦に行ってきました。今回はTokyo E-prixの概要と会場について取り上げます。

今回のFormula E東京大会には日本企業からは日産とヤマハの2チームが参加しました。
日産1号車 Oliver Rowland選手

概要:フォーミュラEとは

フォーミュラEは2014年に始まった電気自動車の世界選手権です。フォーミュラEの優勝で得られるF1のスーパーライセンスポイントは30ポイントであり(F1出場の要件は40ポイント)、WECやFIA F3、スーパーフォーミュラなどと同等の格付けに位置づけられています。

フォーミュラEでは通常のモータースポーツのレースとは異なり、走行音にエンジン音が全くなく、電気自動車に特徴的なモーター音(プリウスの発進の音が代表的)と風切り音をたててフォーミュラカーが駆けていきます。使用されるマシンはワンメイクで、全チーム共通の形をしています。今回の東京大会では第三世代の改良版にあたるGEN3 Evoが活躍しました。


GEN3 Evoの公式紹介動画。マシンの走行音などもこちらを参照ください。

東京でフォーミュラEのレースが行われるのは今回の2026年7月が3年目となります。東京では2024年、2025年と昼間にレースが行われてきましたが、あまりに暑いため今年からは夜間のレースとなりました。F1シンガポールGPがナイトレースになるのと同じような理由ですね。

黄色いマシンは日本企業関連のもう一チームローラ・ヤマハのマシン。よく目立っていました。

今回は日本での初のシティーサーキットでのナイトレースになるということで、日産とアンドレッティの2チームが特別塗装のマシンを発表しました。これらのマシンについては別記事で取り上げたためこちらを参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

フォーミュラEは社会への影響を加味したイベントの側面もあるため、ファンビレッジの関連企業の展示ブースが充実していました。管理人の印象に残ったものでは、ヤマハ、コマツ、JAF、ポルシェのブースがあります。また、フォーミュラE自体に社会実験的な側面があり、様々な取り組みがあるようです。詳しくはこちらの記事を参照してください。

smart-mobility.jp

会場について

フォーミュラEの東京・有明会場は3年連続で東京ビッグサイト敷地+周辺公道となっています。日本でのシティーサーキットを使った(本格自動車の)レースはフォーミュラE・Tokyo E-Prixが初で3年間同じコースレイアウトを使い続けています。

コース全体像(出典:https://jp.fiaformulae.com/spectator-guide)

会場全体像(東京大会公式アプリより)。グランドスタンド2の前あたりからスタートして反時計回りに進むコースとなっている。今年は3年目となるが年々観客スタンドが減少している。

GoogleMapで会場を眺めるとこんな感じ。地図上部の駐車場はフォーミュラEのサーキットとして使用する部分だけ舗装が変わっていたりします。

なお、会場となっている有明のシティーサーキットは一部で公道を使用しているため、レースの数日前まではコースを走ることができます。レース前日と思われる日の走行動画が投稿されていたのでこちらで供覧させていただきます。

英語版ではありますが、各コーナーの解説付きのこちらの動画もレース直前のコースの様子がわかりやすいです。

フォーミュラEはコース以外にもビッグサイトのホールを活用したファンビレッジがあります。こちらは参加チームの市販車や協賛企業の展示、キッチンカー、そしてライブなどがあります。

ファンビレッジに展示されていた、来年度使用予定のGEN4マシン。

今年のファンビレッジの様子はこちらの記事を参照されると雰囲気がつかめるかと思います。

motor-fan.jp

フォーミュラEの特記すべきこととしては他のレースと異なって「持続可能なレース」的なことを目標にしていることがあります。このため紙のガイドブックの発売がありません。すべてアプリ/Webサイトで見ておいてね、ということにされているので事前のアプリのインストールは必須です。個人的にはガイドブック、観戦の記念に欲しいんですけれどね。

次の記事は実際に観戦してきた様子です↓

ma-te.hatenablog.jp

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

フォーミュラE・東京E-Prix 2026で日産とアンドレッティの特別カラーのマシンを撮る!Formula E 2025-2026

2026フォーミュラE東京大会、Tokyo E-prixでは日産とアンドレッティの2チームがスペシャルリバリー、すなわち特別塗装の車体でレースに臨んだ。今回の記事では日産とアンドレッティの2チームのスペシャルリバリーのマシンを紹介する。

なおフォーミュラEの東京大会の全体像を見たい方はこちらの20分弱の公式動画をご覧になるか、公式HP、あるいは私の記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

1.日産

3年目のFomulaE東京大会は初のナイトレースということで、日産は通常の紅白塗装ではなく、新型リーフの発表に合わせたNISMOのグレーカラーのマシンでレースに臨んだ。日産フォーミュラEチームのシンボルの桜のデザインが黒色の中に通常の紅白塗装同様に組み込まれている。

ナイトレースにちなんだ特別塗装の日産のプレスリリースはこちら。https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/260722-02-j

1-1. 日産1号車・Oliver Rowland

日産1号車 FP2にて

日産1号車 FP2にて
黒い車体はどうしてもアスファルトの色に飲まれてしまう。デザインとしてはもちろんカッコいいのだが、ローラ・ヤマハの黄色やF1・マクラーレンのパパイヤ色などの鮮やかな色がサーキットには一番映えると思う。

日産1号車 FP2にて
湾岸地域のマンションを背景に夏の怪しい空の下を駆け抜ける。

日産1号車 FP2にて

日産1号車 Round14予選にて

日産1号車 Round14決勝にて

日産1号車 Round15予選にて

日産1号車 Round15決勝にて

日産1号車 Round15決勝にて

日産1号車 Round15決勝後のピットにて

1-2. 日産23号車・Norman Nato

日産23号車 FP2にて

日産23号車 Round14 予選にて

日産23号車 Round14 決勝にて

日産23号車 Round15 予選にて

日産23号車 Round15 決勝にて

日産23号車 Round15 決勝にて

日産23号車 Round15 決勝後のピットにて

レース後の予備のノーズコーン

2.アンドレッティ×リバティーウォーク

アンドレッティ×リバティーウォーク

アンドレッティはFormula E創設初年の2014年から参加しているチームだ。2018年に初優勝をしている。アンドレッティは今年まではBMWおよびポルシェのパワーユニットを使用していたが、来シーズンからは第4世代の車体になることに伴い、日産のパワーユニットに変更となる。通常は黄色と黒のデザインのデザインの車体を使用している。

2026年からはキャデラックと組んで「アンドレッティ・キャデラック」チームとしてF1参戦しようとしていたがFIAに却下されている。その後、アンドレッティを外した、キャデラックのみで「キャデラック」チームとして2026年からボッタス・ペレスの2人ドライバー体制でF1に参加している。

ボッタスが操るキャデラック77号車@F1日本GP2026 鈴鹿サーキットにて
TWGグローバルのスポンサーはアンドレッティと共通。

以降ではアンドレッティの2台のマシンを紹介する。

2-1. Andretti 27号車 Jake Dennis

Andretti 27号車 FP2にて

Andretti 27号車 Round14予選にて
アンドレッティのシルバーメタリックは昼夜を問わずギラギラしていた。

Andretti 27号車 Round14予選にて
ピットアウトする場面

Andretti 27号車 Round14予選にて
傾いた日差しにシルバーの車体が映える

Andretti 27号車 Round14予選にて
ブーストモードを使用しており、ハロやインテークのLEDが青色に輝いている

Andretti 27号車 Round14決勝にて

Andretti 27号車 Round15決勝にて

2-2. Andretti 28号車 Felipe Drugovich
Drugovichは2022年にF2でタイトルを獲得し、以降アストンマーティンの育成ドライバーとなり、同F1チームでリザーブドライバーおよびテストドライバーを務めてきたが、2025‐2026シーズンからFomula Eに転向した。

今回のTokyo E-prixではFP2にてクラッシュを喫し、Round14の予選は不戦敗となり、決勝では最後尾からスタートとなった。Round14では20車中16位、Round15では13位を記録している。今シーズンモナコのRound10では2位を記録しており、今回はあまり調子が出なかっただけかもしれない。

Andretti 28号車 Round14決勝にて

Andretti 28号車 Round14決勝後の大雨のピットにて

Andretti 28号車 Round15決勝にて

Andretti 28号車 Round15決勝にて

Andretti 28号車 Round15決勝にて
ブーストモードを発動して青色に光っている

Andretti 28号車 Round15決勝後のピットにて
シルバーのTシャツはどこで購入できますかね…

アンドレッティの2台の予備のノーズコーン

追記:リバティーウォークについて

Formula E東京E-Prix翌日に訪問した際のリバティーウォーク原宿店。
アンドレッティとのコラボの拠点となった支店。2階窓に注目。

リバティーウォークは愛知県に本拠地を置く改造車作成のキット制作会社だ。F1やFormula Eなどのレース開催時には、必ずと言っていいほどドライバーが訪れるほどの車好きが足を運ぶ店だ。Formula Eとのコラボは今回が初ではなく、2年前の初回東京大会時もコラボしていた記録が残っている。

libertywalk.co.jp

今回のコラボの様子はこちら。関連してアンドレッティのFomula EのSpark製1/43ミニカー、T‐シャツ、そしてキーホルダーが会場および原宿店で発売された。

libertywalk.co.jp

andrettiglobal.com
(車両のイラストはこちらにたくさん掲載されており、日本語版がページ下部にあります)

fe-navi.com

topnews.jp

ちなみに大会翌日のリバティーウォーク原宿店には、Last Oneとデカデカと記載されたポップの下に昨日まで血眼で追っかけていたJake Dennis選手のミニカーがありました。 

原宿店ラスイチのミニカーは管理人の初Spark製ミニカーとしてコレクションに迎えられた。

Sparkミニカーを所有して思ったのは、WRCの時も買っておけばよかったということでした。ちなみに写真の下段に写っているのは鈴鹿F1で購入したBurago製です。こうして徐々に沼に浸かっていくのでしょう…

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

スミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機④ ~第二次世界大戦後・朝鮮戦争・ベトナム戦争・冷戦期の米軍機:前半~

2025年3月に訪問した、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機材についての記事です。博物館の概要はこちらの記事をご覧ください。

ma-te.hatenablog.jp

 第2次世界大戦後、アメリカは西側諸国の盟主としてソビエト連邦との冷戦を主導しました。ソ連との直接的な武力衝突は避けつつも、代理戦争の形で朝鮮戦争やベトナム戦争を展開しました。1989年のソ連崩壊とともに新興国の台頭や国内の分断により、世界におけるアメリカの役割は変わりつつありますが、それでも大国であることには変わりないでしょう。軍用機の開発の歴史は航空技術開発の歴史でもあります。今回の記事では先の大戦からのアメリカの航空史を眺めつつ、展示機体を紹介していきたいと思います。

第二次世界大戦中までの米軍機の展示についてはこちらの記事を参照してください。

ma-te.hatenablog.jp

1.F86A Sabre(セイバー)
第二次世界大戦後期、アメリカは占領地であるドイツから得た航空技術の実験データを基にして後退翼を採用してジェット戦闘機を製作した。当初旧日本海軍に対抗する目的での設計であったが、完成は終戦に間に合わず、終戦2年後の1947年に初飛行をし、1949年より実戦配備された。1950年の朝鮮戦争では国連軍として参戦し、ソ連から貸与された中国人民解放軍のMiG15と交戦を繰り広げた。展示機はその際にソウル近郊の金浦空軍基地に所属していた空軍の機体とのことだ。なお、F86は日本の航空自衛隊でも採用され、日本でライセンス生産までされた。

F86

F86

2.MiG15-bis "Fagot B"

上記のF-86と朝鮮戦争で交戦していたのがこの機種だ。スターリンの高性能な高高度迎撃機の要求に応えて、1947年に初飛行した。F86同様、後退翼の機体であり、コクピットが与圧されている初の機体であった。朝鮮戦争ではMiG15はスピード、操作性、そして重装備で西側諸国を圧倒した。展示されている機体は人民解放軍でF2として運用されていたものだそう。

MiG15

MiG15。機種を突き合わせている相手は朝鮮戦争で交戦したF86。

3. Lockheed T-33A Shooting Star

1948年〜1957年の間に米空軍で使用された唯一の訓練用の機種。設備試験や訓練に使用された。展示されている機体は一度も塗装されることがないまま、Andrew空軍基地で使用されていたようだ。

T33A

4. North American F100D Super Sabre (スーパーセイバー)

F86の改良型として開発された、世界初の実用超音速戦闘機。ベトナム戦争では戦闘爆撃機として北爆に使用された。爆撃機として使用されたのは初期のみであったようで、以降は爆撃機の護衛戦闘機として使用されたようだ。ただ、レーダーの性能が当時の時代遅れのものとなっていたためあまり活躍しなかったようだ。

日本ではF86の後継として導入を検討されていたが、当時の岸信介首相に「戦闘爆撃機」と説明され、「日本に爆撃機はいらない!」と一喝されて導入は立ち消えとなった。在日米軍も使用しており、宮森小学校米軍機墜落事故は同型機によるもの。

展示されているこの機体は1957年から21年間運用され、キューバ危機、ベトナム戦争に参加している。日本での駐留歴もあるようだ。

F100D Super Sabre

5. MiG21F "Fishbed C"
MiG21はソ連の第2世代のジェット戦闘機で、1960年から運用されたデルタ翼が特徴的な機体だ。デルタ翼の採用によって優れた操作性、高速度を有しており、西側諸国でMiG21を凌ぐ能力を持つ機体はF16の登場までなかった。能力の割に構造が簡単で維持しやすため2020年を過ぎても今なお世界各国の空軍で運用されている。

実際に使用された戦乱としては、ベトナム戦争、プラハの春、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争などがある。

東ドイツやフィンランド、中国をはじめとする欧州、中東、アジア、アフリカの40か国近くで合計6000機以上が採用されていた。米軍基地内で展示されていたのを博物館展示用に移設した機体とのことだが、それまでの出自は明らかになっていない。

MiG21F

MiG21F

6. Republic F105D Thunderchief

F84(←P47 Thunderboltの後継)の後継として登場した、機体内に爆弾倉を持った超音速戦闘爆撃機。1959年に初飛行し、核爆弾の輸送も可能だった。

F100Dの置き換えも行っており、日本では嘉手納基地や板付基地(現福岡空港)のF100DがF105Dで置き換えられた。F100Dの項目で触れたように、ベトナム戦争の北爆の役割をF100Dから引き継いだ。1980年代から徐々にF4に置き換えられていった。

F105D

F105D(奥) 爆弾倉があるのがわかる

7. Vought RF8G Crusader
F8は世界初の艦上機としての超音速戦闘機で、米海軍と海兵隊を中心に運用された。空軍のF100戦闘機がマッハ1.3が最高速度であったのに対してF8はマッハ1.7が最高速度であった。主翼の前桁にアクチュエータを取り付けたことで、主翼の迎角を増して低速での安定性と離着艦の際の機首上げ角度を抑えることができるようになった。なお、Crusaderは十字軍の騎士という意味だ。

展示されているのはF8のうち、偵察型のRF8Gで、F8Uとしてデリバリーされて東南アジアで7年間運用された後に1987年まで偵察機として運用されたようだ。展示版には最後の海軍のF8との記載があった。

Vought RF8G Crusader
折りたたまれた主翼はアクチュエータで前側が持ち上がって迎角がある。

8. Grumman A6E Intruder

朝鮮戦争により、全天候下での低空侵攻能力と精密攻撃能力の必要性が明らかとなり、開発されたのがGrumman A6だ。Grumman A6は複座の艦載機で1960年に初飛行し、2019年まで運用された。

Grumman A6は攻撃機型、給油機型、電子戦機型などが運用に就いた。特に攻撃機型ではGrumman A6AからA6B、A6Cと順に改良されていき、最終形態としてGrumman A6Eとなった。ベトナム戦争や湾岸戦争などに参加した。

Grumman A6E

Grumman A6E

長くなってきたので以降の機体は後半の別の記事で紹介したいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

スミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機③ ~ドイツ機とコンコルド~

ワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館別館にはドイツ機が少なからず展示されている。第二次世界大戦後、ドイツは日本同様に航空機開発を禁止されたが、現在ではフランスと並んでエアバス機の開発を行うほどに航空大国である。第二次世界大戦時よりドイツは航空宇宙技術に秀でており、V2ロケットや世界初の実戦を行ったジェット機であるメッサーシュミットはいずれもドイツで製作されたものである。世界中の機体を収集しているスミソニアン博物館においても、航空史上における重要なドイツの機体は少なからず展示されており、今回はこれらの機体を紹介する。

第二次世界大戦から活躍したユンカース52/53mとコンコルド

また、コンコルドは世界で唯一営業飛行した航空機であり、こちらの展示の様子も今回の記事で紹介する。

スミソニアン航空宇宙博物館の訪問記のまとめはこちらの記事を参照頂きたい。

ma-te.hatenablog.jp

前回の記事はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

1. ヒンデンブルク号 LZ129 hindenburg (模型)

飛行船は飛行機よりは遅いものの、駆逐艦に追尾できない高速性を生かして20世紀初頭より空の輸送手段となっていた。1930年代でまではドイツからアメリカや南米までの飛行船路線があったようだ。第一次世界大戦で飛行船はドイツからイギリスへの長距離爆撃にも使用されていた。

展示されている模型の原型であるLZ129ヒンデンブルク号はこれまでのあらゆる飛行機械のなかで最も巨大な飛行船である。1936年から運行開始し、大西洋横断旅客輸送に使用された。旅客飛行のほか、1936年のベルリンオリンピックではオリンピック旗をたなびかせてスタジアムの上空を横切る宣伝飛行をしたりしている。当初は浮揚ガスとしてヘリウムが使用されていたが、アメリカによるドイツへの軍需物資の禁輸により水素ガスの使用に変更された。そんなさなか、1937年に大西洋を横断してアメリカ・ニュージャージー州・レイクハーストの海軍基地に着陸する際に炎に包まれて墜落した。以降、水素で満ちた飛行船による輸送は欧米で許容されなくなり、第二次世界大戦の初期より残存した飛行船も引退して飛行船の時代は終焉となった。

ヒンデンブルク号

ヒンデンブルク号とA380などの比較図。wikiより転載。

LZ 129 (飛行船) - Wikipedia

2. フォッケウルフ Focke-Wulf Fw 190 F

ドイツ空軍で1939年に初飛行した機種。戦闘機と爆撃機の両者の役割を果たせるように開発され、実際に第二次世界大戦初期のドーバー海峡では英国空軍のスピットファイアを実戦で圧倒していたようだ。被弾時の生残性を高めるために、主要部分に防弾鋼板が張られていたり、オイル系統も装甲されたうえで2重の冗長性を持たせてある。戦後に連合国の調査では第二次世界大戦におけるドイツの最良の戦闘機と評された。多数の機体が欧米各国に保存展示されている。
フォッケウルフ Fw190 - Wikipedia

フォッケウルフ Fw 190 F

3. ハインケル Heinkel He 219 A Uhu
第二次世界大戦中、英国軍は損害を避けるために夜間に大都市爆撃を行っており、それに対抗するために制作された夜間戦闘機がこちら。尾輪の代わりに前輪を採用することで離着陸時の視界を保つことができるようになったほか、機首に対空レーダーを装備していた。エンジン供給が安定せず主力機にならなかった。Uhu(ウーフー)はワシミミズクという意味。展示機体は世界でこの機体のみ。

He 219 (航空機) - Wikipedia

He 219 A Uhu

4. アラド Arado Ar 234 B Blitz
第二次世界大戦後半で連合国軍に制空権を握られたドイツ軍が偵察と爆撃を安全に行うことを目的として開発されたジェット機。最高速度は連合国軍の主力戦闘機であったP51マスタングやスピットファイアを大きく上回っていた。単座でパイロットは操縦と爆撃を一人ですべて行っていた。爆弾はすべて翼の下に外部搭載していた。性能としては連合国軍を上回ってはいたがドイツ軍の戦力が残っておらず活躍の場は限られていたようだ。

アラドAr234 - Wikipedia

Arado Ar 234 B Blitz

5. メッサーシュミット Me163 B-1a
ロケット推進航空機の走りであったのがMe163だ。離陸から着陸まですべてをロケット動力のみで行い、迎撃戦闘機として使用された。上昇力と高速性は連合国軍の性能を上回っていたが航続距離が極端に短く、同機の配備基地を避けて連合国軍が飛行するようになり、会敵することもなくなった。ドイツ空軍ではほかにMe262が有名であるが、こちらはスミソニアン博物館の本館に展示されており、別館にはない。Me163とMe262の資料はドイツより日本海軍潜水艦で日本に輸送されており、それぞれ秋水・橘花の開発に利用された。

ロケット推進航空機としてはほかに日本軍の桜花が有名ではあるが、ジェットエンジンの発展の前にロケット推進航空機自体が廃れてしまった。

Me 163 B-1a 機体手前に搭載ロケットエンジンが展示されている。

Me163B-1a

6. Ju 52/3m (ユンカース)
ルフトハンザドイツ航空で運行された17人乗りの機体。3発エンジンが特徴で、ベルリンからロンドン、パリ、アルプス山脈を越える路線に就航していた。1932年に導入され、第二次世界大戦の間はドイツ空軍の輸送機、爆撃機などとして使用された。ヒトラーや蔣介石の専用機となった機体もある。

保有機材 | Lufthansa
The first Lufthansa during the Nazi era - Lufthansa Group

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

戦後、ドイツは日本同様に航空開発を禁止された。1955年のパリ協定で西ドイツの主権が回復すると同時に航空開発の禁止が解除された。その後は米国の戦闘機やフランスの輸送機のライセンス生産などを行い、そののちにヨーロッパ内での国際共同開発に参画するようになった。ユーロファイターなどの戦闘機のほかエアバスに参画してA300などを皮切りに多数の旅客機を世に送り出している(がこれらの機体はスミソニアンに展示されていない)。

番外編:コンコルド

英仏の2か国で共同開発された人類初の超音速旅客機。離着陸時に機首が折れ下がるのが特徴。1960年代から開発が進められており、ドイツは参画することができなかった。1969年に初飛行し、1975年に就航した。

実際に長く運航したのはブリティッシュエアウェイズとエールフランスの2社の大西洋路線のみだが、パンアメリカン航空や日本航空もコンコルドを発注していた。多くの航空会社はオイルショックによる燃油高騰を受けて発注をキャンセルした。

2000年のパリ・シャルルドゴール空港での墜落事故や2001年の9.11以降の航空需要低迷のあおりを受けて2003年に退役した。

コンコルド

コンコルド

コンコルド

エンジンの外気取り込み口。

スミソニアン博物館の展示機のシリーズは、宇宙開発と大戦後の米軍機の記事をそれぞれ準備しています。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

オーロラを見に行く⑧ ノルウェー・ナルヴィクからストックホルムまで寝台列車に乗る!

以前連載していた、北欧・ノルウェー/スウェーデンでのオーロラ鑑賞旅行の続きです。
これまでのノルウェー/スウェーデンでのお話はこちらを参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

ma-te.hatenablog.jp

オーロラ鑑賞後は飛行機で帰国の途に就いたのでしたが、実際は夜行列車でノルウェー・ナルヴィクからストックホルムに向かい、そこから飛行機で帰国の予定でした。

今回はナルヴィクからストックホルムまでの夜行列車についての記事です。

列車の始発駅のナルヴィクはもともとメキシコ湾流という暖流によって不凍港となっている北欧の港町で、スウェーデンのキルナ鉄山の輸出港として発展してきました。

キルナ鉄山からナルヴィクまで、鉄鉱石はスカンジナビア山脈を超えて鉄道輸送されています。ノルウェー・ナルヴィクからスウェーデン国境駅のRiksgränsen駅までがオフォーテン線(Ofoten Line)で、同駅以降はスウェーデンのIron Ore線となっています。

ストックホルムまでの夜行列車はIron Ore線のBoden駅からIron Ore線を離れてストックホルムへと向かいます。

キルナ鉄山の鉄鉱石輸送に使われるOfoten lineとIron Ore line。スカンジナビア山脈の北にあるノルウェーの港町がナルヴィク、そしてボスニア湾に面しているスウェーデンの港町がルーレオ。キルナ鉄山はその中間地点に位置している。
画像出典:wiki

列車に乗る2日ほど前、滞在していたアビスコ周辺には手軽にカロリー補給できる飲食店がないため、キルナのバーガーキングへと向かいました。

バーガーキング帰りにキルナ駅に寄ったところ、数日後に乗車予定だったストックホルム行の列車が停まっていました。出発の30分ほど前でしたが、時間調整をしていたようです。

駅裏にスキー場があるキルナ駅

キルナ駅でストックホルムへの出発を待つ

車両の側面はコルゲート板が目立っていた

前の客車はルーレオ行きだった

ストックホルムとルーレオ行きが併結していた

最後尾は寝台車だった。

遠く離れたストックホルムへの出発を待つ

キルナ駅でじっくり撮影した後はオーロラハンティングへと向かった。その様子は前回の記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

オーロラ観測は夜間のみしかできず、昼間は時間に余裕があるため、翌日、昼間の走行シーンも抑えました。

キルナを出発してナルビクへと向かう、ストックホルムから夜を越えてきた夜行列車。

同日夜に、ナルヴィクを出てストックホルムへと向かっていく列車のカットも抑えました。場所は宿泊していたアビスコの最寄りのアビスコ駅です。

アビスコにて

アビスコにて


乗車記録

ナルヴィクからストックホルムを結ぶ列車はロシアのムルマンスクを除いた世界最北端の駅に向かうことができる列車です。日本にいるときからブログ記事などで存在は知っていましたが、なかなか乗る機会に恵まれませんでした。

今回は半年ほど前にナルヴィクからストックホルムへのチケットを確保したものの、前日に区間運休が決まり、全額払い戻しました。

今回のチケット

列車に乗る前日、管理人が乗車するナルヴィク駅からボーデン駅(キルナのさらに南)までの運休が決まりました。

運休!そして振替先の列車は満席。詰んだ…
チケットはキャンセル!バイバイ、スウェーデン国鉄!

寝台車のチケットはあきらめてキャンセル、その勢いで同日の夕方ナルヴィク発、オスロ経由、ストックホルム行のSASの航空券とストックホルムの宿を確保しました。Trip.comは前日予約できて最強でした。

搭乗したSAS。オスロ空港にて。

雪は降り続いており、デアイシングされた。

ストックホルムで宿泊した後は、スーツケースを預けてノーベル博物館を訪問し、帰りの飛行機の都合もあり、中央駅へと向かいました。

折しも中央駅では乗車予定だった車両がやってくるタイミングでした。

乗車予定だったナルヴィクからの寝台列車。ストックホルム中央駅にて

重連だった

1両目は1397号機

2両目は1326号機だった

到着後、しばらくして切り離された

ストックホルム中央駅を後に去っていった

また乗りに行けたらと思っていましたが、この2か月後に列車は廃止となってしまったようです。残念。

nachtzug.net

現在では運転区間をBodenで区切っており、乗り継ぎの形でナルヴィクからストックホルムまで列車旅ができるようです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑧~Day3 トヨタスタジアム→額田SSに向かうラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパン最終日は彼女氏を連れて観戦に赴いた。この日はリエゾンでの撮影に徹することとした。残念ながら天気は曇り。意外と順光で撮影できる箇所は少なかったが、曇天が幸いして様々なアングルの写真が撮られたことだろう。

最終日のこの記事に至るまでの撮影はこちらを参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

ラリージャパンの最後のリエゾンでの撮影は鞍ヶ池SS後にトヨタスタジアムのサービスパークでの整備を終えたラリーカーが額田SSに向かうリエゾン区間とした。

ラリーカー通過前にやってきたセーフティーカーはこちら。

観客席のセーフティーカー。
ドライバーさんのお手振りいただきました。ありがとうございます。

コースのセーフティーカー。これくらい晴れてくれたらなあ。。。

0aカー。お手振り頂きました。ありがとうございます。

WRC TVの国際放送用の車両。レンタカー使用。

関係者輸送車両?

0bカー。お手振り頂きました。ありがとうございます。

最初に姿を現したのはトヨタヤリス99号車・ソルベルグ選手。

白バイの追跡を受ける99号車・ソルベルグ選手

続いてフォード55号車・マカリアン選手が姿を現した。

フォード55号車・マカリアン選手

同僚の95号車・アームストロング選手も続いて姿を現した。

フォード95号車・アームストロング選手。
ボンネットをゆがめてしまったよう。

フォードが去った後に姿を現したのははヒュンダイ20号車・パッドン選手

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

ヒュンダイは続いて11号車・ヌービル選手が姿を現した。

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手。ちょうどヒュンダイ16号車・フルモー選手のレッキカーとすれ違っており手を振りあっている。

そしてヒュンダイ3台目の16号車・フルモー選手が通過。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手。
後ろのほうでは坂を上っているトヨタ・ヤリスが2台連続している。

残されたラリー1車両は、最初からだいぶ間が空いているが、トヨタヤリス4台だ。
最初に通過したのは、勝田選手の18号車。

18号車・勝田選手。この場所には自分と彼女氏の2名しかいなかったが、それでもお手振りいただいた。カッコ良すぎ、ファンになるしかない。

連続して5号車・サミパヤリ選手が通過。

5号車・サミパヤリ選手

続いてRedbullカラーのオジェ選手の1号車が通過。

1号車・オジェ選手。

そして、最後に通過したラリー1車両は33号車・エバンス選手。

33号車・エバンス選手。今大会の優勝選手!

これで管理人のラリージャパンにおけるラリー1車両の撮影はおしまい。気が向いたらラリー2、ラリー3の車両も車両別にまとめた記事を作りましょうか。

初回観戦でしたが、リエゾンでも十分楽しめました。ラリードライバーはリエゾンではお手振りをいただけることが多いです。チケットが無くてもリエゾンに行ってみましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

追記:そういえば面白い動画を見つけました。地元で練習、しましょうね


WRC Japan ラリージャパン2026 ⑦~Day3 額田SS→三河湖SS→鞍ヶ池SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパン最終日は彼女氏を連れて観戦に赴いた。
本題に入るまでにこれまでの2026年のラリージャパンの記事を紹介する。
ラリー前日の開会式の様子はこちら。

WRC Japan ラリージャパン2026 ① ~オープニングセレモニ@名古屋城ー~ - にらさき日記

ラリー初日は参加できなかったが、2日目は恵那SSの上矢作観戦地区とリエゾン2か所で観戦することができた。記事はこちら。

WRC Japan ラリージャパン2026 ②~Day2 恵那SS上矢作/概要とアクセス~ ラリージャパンでの恵那SS上矢作での観戦の様子です。 - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ③~Day2 上矢作SS/ラリーカー通過まで~ラリージャパンの恵那SSの上矢作エリアで撮影したルートノートカーやセーフティーカーの紹介です。 - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ④~Day2 恵那SS上矢作エリアでのラリー1車両:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑤~Day2 笠置山SS→恵那SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑥~Day2 小原SS→藤岡SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

上記がこれまでの記事だ。

最終日はリエゾンでの観戦とした。彼女氏は終日前日に恵那SSで頂いたトヨタGRの応援フラッグとラリージャパンのフラッグの2つを振って楽しそうにしていてくれた。

天気は残念ながら完全に晴れとはいかず、空は終始厚い雲に覆われていた。

最初に向かったのは額田SSから三河湖SSに向かうリエゾン区間。日本でよく見る山里の田んぼの中の直線道路をまっすぐラリーカーが向かってくる構図の場所とした。

通過した順にラリーカーを紹介していきます。

最初に姿を現したのはトヨタヤリス99号車のソルベルグ選手。前日のSSでは残念ながらクラッシュしてしまったが、この日は復活してくれた。

トヨタヤリス99号車・ソルベルグ選手

フォード55号車・マカリアン選手

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

フォード95号車・アームストロング選手
昨日ガムテープ修理されていた左フロントはきれいに修復されていた

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

トヨタヤリス18号車・勝田選手

ヒュンダイ16号車・フルモー選手

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手
対向のステップワゴンと危く被るところだった

このタイミングで通過していったセーフティーカー
後方ではオジェ選手が路肩で作業をしていた

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

作業中のオジェ選手とその様子を遠くからコンデジで撮影する愛知県警。
今後の規制強化に向けた布石だろうか。実際、イエローカットするドライバーも見かけたので、今後の規制強化はあっても仕方ないように思う。

パトカーは今の時代となってはやや古風な180系クラウンだった。
導入時期は2009年ごろまでなので17年以上使用された車両のようだ。

ラリー1で最後に通過していったトヨタヤリス1号車・オジエ選手

ラリー2の一部の車両を見送ってから次の三河湖SS→鞍ヶ池SSのリエゾンのポイントへと向かった。

場所は下山の里。施設利用者でないと駐車禁止の場所であったが、同乗の彼女氏に五平餅を食べに行ってもらい、その間に撮影することができた。
時間がカツカツであったので最初のヤリスは逃してしまった。

フォード55号車・マカリアン選手

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

フォード95号車・アームストロング選手
先程はなかったアクリル板がついている。

白バイに追いかけられるヒュンダイ20号車・パッドン選手

トヨタヤリス18号車・勝田選手
前の車が詰まっていたためにのぼりとは絡められず…ただ手を振って頂き嬉しかった。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手

ヤリス1号車・オジェ選手
ファンサービスのためにドアを開けているのではなく、純粋に暑いから開けられているようだ。ラリーカーは非冷房のようだ。

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手

今回はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑥~Day2 小原SS→藤岡SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

恵那SSに向かうラリーカーを撮影した後は、さらに先のリエゾンに向かった。
前回の笠置山SS→恵那SSのリエゾンでの撮影記録はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

次のリエゾンの撮影地への移動途中、もともと撮影予定地としていた岐阜/愛知県境の小原トンネルの出口付近には多数ギャラリーが居り、出口の路側帯は既に満員御礼で諦めざるをえなかった。

今回のラリージャパンでラリーカーがトンネルを通過する場所としては、有名な伊勢神トンネル(但し一般人は撮影不可)以外に、新伊勢神トンネル、足助トンネル、観音山トンネル、今回の小原トンネル、松平トンネルが挙げられる。地形を見る限りは小原トンネルがベストだろう。

ただ、実際に撮影された方の作品を拝見すると、必ずしもヘッドライトが点灯されているわけではないようで、その点については注意が必要そうだ。

今回はトンネル越しのラリーカーの撮影はあきらめて、めぼしいポイントをロケハンして何とか通過に間に合わせた。今回は正面アップの構図が取れる場所を選定した。

最初にやってきたのは0aカーだった。

ラリーカーの直前に通過する0aカー。

しばらく時間を空けてから重低音を轟かせてやってきたのはフォード・ピューマ55号車・マクアーリン選手だった。

フォードピューマ55号車・マクアーリン選手
助手席にいるコドライバーであるトレイシー選手が浮き上がっている。

フォードの次に通過していったのはヒュンダイ20号車。ニュージーランド出身のペアだ。

ヒュンダイ20号車・パッドン選手
助手席のコドライバーのケナード選手が浮き上がっている。

続いて2台目のフォード95号車が姿を現した。車体の左前面を破損してテープ補修したようだ。

フォード・ピューマ95号車 アームストロング選手
左フロントのガムテ修理がラリーカーらしい

フォード2台が去った後はヒュンダイの車両が続いた。
フルモー選手の16号車、ヌービル選手の11号車の順に登場した。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手
右サイドミラー吹き飛ばしてますね。

白バイ隊員氏に続いて登場したヒュンダイ11号車・ヌービル選手。

白バイが去ったあとのヌービル選手の車両。
しかし、よく短時間でピント合ったな。

フォード・ヒュンダイ勢が去った後はトヨタ・ヤリスが通過していった。通過順に写真を貼っていきます。

勝田選手のトヨタヤリス18号車!

サミパヤリ選手のトヨタヤリス5号車!
午前の恵那SSで外れかけていた左サイドミラーは無くなったままであった。

オジェ選手のトヨタヤリス1号車
こちらも右サイドミラーを吹き飛ばした模様。

最後に通過したエバンス選手の33号車。
日が傾いていくスピードがあまりに早く、耐えきれず影落ちしてしまった。

この後はラリー2などの車両も撮影しましたが、それはまた別記事で。

この日は朝5時現地着のスケジュールでこの時点で体力の限界。翌日は彼女氏付き添いでのリエゾン観戦なのでこの撮影を終えて帰宅しました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑤~Day2 笠置山SS→恵那SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

午前の恵那SSを上矢作で観戦した後は、恵那市内のリエゾンに向かった。有名な岩村城下町は午後は光線がよくないため、今回はパス。


前回の恵那SSを上矢作地区の最前列で観戦した記事はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

 

光線状態がよい場所を探して落ち着いたのが恵那市内のこちら。笠置山SSから恵那SSへと向かうリエゾン区間だ。当初は国道257号を南下するルートを想定していたが、予想を外して急遽再選定したのがこちら。

田植えが終わった田んぼと新緑、そして抜けるような青空、と日本の初夏を象徴するスポットを見つけられた。

ラリーカーの通過の前には各種セーフティーカーが通過していった。

セーフティーカー
ラリーといったらスバル。将来のWRC復帰の噂もあるが真相はいかに。

0aカーの前に通過していった0bカー
トヨタヤリス

ラリーカーの直前に通過していった0aカー
こちらもトヨタヤリス

最初に通過していったラリーカーはこちらのフォード。
カーブのはるか向こうからエンジン音を轟かせてやってきた。

フォード55号車・マカリアン選手

フォード95号車・アームストロング選手

ちなみにラリーカーの場所はWRC公式のラリージャパン特設ページのlive mapsというところから見ることができた。

www.wrc.com

2台のフォードが去っていった後に姿を現したのはヒュンダイのフルモー選手。元整形外科志望医学生だ。

地元に留まるのではなく世界を舞台に戦う、一般にはリスキーと捉えられがちな選択肢をとることができたのは何故なのだろうか。そんな選択をとった彼がカッコいいことには間違いない。

ヒュンダイ・45号車、フルモー選手

次に姿を現したのはlocal heroの勝田選手・ヤリス18号車。

長久手出身だそうで、この地域にも家族の思い出などあるのだろうか。馬籠に行くついでに通ったりしてそうだが。

トヨタヤリス18号車・勝田選手

勝田選手の次は再びヒュンダイが続いた。

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

パッドン選手の次は今回総合3位だったサミパヤリ選手。

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手
午前の恵那SSで外れかけていた左サイドミラーは無くなってしまった。

再びヒュンダイがやってきた。ヒュンダイは全3台参加だったのでこれで最後。
最後のヒュンダイはヌービル選手。フィンランド在住の勝田選手のご近所さんのようだ。

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

後にはトヨタヤリスが続いた。昨年チャンピョンだったセバスチャン・オジェ選手。

トヨタヤリス1号車・オジェ選手

ラリー1参加車で最後に姿を現したのは今回のラリージャパンで優勝したエバンス選手。

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

トヨタヤリス99号車のオリバー・ソルベルグ選手の車が現れていないが、これは今回のリエゾンの直前の笠置山SSでクラッシュしたため。この日はリタイアしてしまったが、翌日は力強い走りを見せてくれた。

岩村城下町のリエゾンで話題になる郵便配達車も通過していった。

この日はもう1か所リエゾンの撮影に向かいました。その成果は次の記事で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ④~Day2 恵那SS上矢作エリアでのラリー1車両:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパンの観戦に行きました。
開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてラリーDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)のチケットを確保できたのでこちらの観戦に向かいました。ステージの概要とアクセスについてはこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

前回の記事ではラリーカーが通る前に通過していった裏方の車両を通過順に紹介しました。

ma-te.hatenablog.jp

今回はラリー1の車両を掲載していきます。

最初に通過したのはこちらのMスポーツのフォード・ピューマ55号車。

フォード・55号車、マカリアン選手。

後ろ姿。ルートノートカーは[11‐XX]の仮ナンバーであったが、ラリーカーは[10‐XX]の仮ナンバーだった。

続いて先程の同僚のフォード・95号車、アームストロング選手が通過。
コドライバーがラリーノートを見ている様子がわかる。

土を巻き上げて走っていった。

次に姿を現したのはヒュンダイ20号車のパッドン選手。

側面!

右側面にはNurburg Ringの記載があった。ヒュンダイは2026年の同所でのツーリングカーレース(TCR)で優勝している。

フルモー選手が操るヒュンダイ16号車

側面!

同車のバックショット。ヒュンダイは仮ナンバーを曲げるようだ。

トヨタで最初に姿を現したのはわれらが日本の勝田選手のヤリス18号車!

他車と比べてもまあまあ速かった。

カッコいい

母国の選手が世界を舞台に戦っている姿には勇気づけられますね。
自分も頑張らないとな。

勝田選手に続いてやってきたのはヌービル選手のヒュンダイ11号車。

土埃を目の前で巻き上げて行った。

後ろ姿

サミパヤリ選手の5号車ヤリス

左サイドミラーが折れている。どこかでぶつけたのかな。

バックショット!

オジェ選手のヤリス1号車。Redbull塗装だ。

リアウィングには「翼を授ける」のロゴ入り。

Redbullのロゴは後にもある。

会場の群衆を背景に斜面を駆け上がっていった。

ソルベルグ選手の99号車。

砂埃を巻き上げて行った。

後ろ姿

エバンス選手の33号車

エバンス選手はこの年のラリージャパンで優勝した。

後ろ姿

ラリー1の最後の車両として坂を駆けて行った。

次の記事では上矢作の次に訪問したリエゾンでの様子を取り上げます。
ラリー2、3の車両は別記事で紹介します。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ③~Day2 恵那SS上矢作/ラリーカー通過前の裏方車両~

ラリージャパンの観戦に行きました。
ここまでは木曜の開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)をのチケットを確保できたのでこちらの観戦に向かいました。ステージの概要とアクセスについてはこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

今回の記事ではラリーカーが通る前に通過していった裏方の車両を通過順に紹介していきます。

管理人が現地到着後、最初に撮影したのはこちら。
ラリー2のフォード・25号車のルートノートカー。

ルートノートカーはSSの競技が始まる90分前までに最高速度を60km/hまでに抑えて実際に走行する路面の様子をチェックする車両です(「レッキ」)。ルートノートカーのクルーは実際のラリーカーに必ずしも乗車するわけではなく、別で人員確保されているようです。

同上。UKのステッカーがあるのでイギリスから持ってきたのでしょうか。
三河の仮ナンバーがシュール。

こちらはラリー1のフォード・95号車のアームストロング選手のルートノートカー。

ラリー1のフルモー選手のヒョンデ・16号車のルートノートカー。ポッキーナンバーだ。

BMWのロゴは潰されていた。

ヒョンデ・20号車のルートノートカー。パッドンの車両だ。

メディアカー

今回優勝したトヨタ・33号車エバンス選手のルートノートカー。

フォード・55号車のルートノートカー。マカリアン選手の車両だ。

しばらくの停車して後続車に道を譲った後に出発していった。

先の2台を抜かしていくランチア・21号車のルートノートカー。
21号車は今回のラリー2優勝のグリアジン選手の車両だ。

同じくトヨタ99号車・ソルベルグ選手のルートノートカー。

同じくトヨタ5号車・サミパヤリ選手のルートノートカー。

トヨタ・1号車、オジェ選手のルートノートカー。

SAS Timing Car。レンタカーナンバー。
計時システムや位置監視システム、コースの状態監視を担う車両のようです。

ハイエース

何の車だったんだろう…
【追記】MOSCOというNPO法人様の車だったようです。

 

セーフティーカー No2

パトカー

メディカルカー。藤田医大の整形外科が担当されたよう。
助手席はドクターかな。

セーフティーカー。この車が来るとラリーはもうすぐ。
沿道でもよく手を振っていただいた印象が強い車両。

セーフティーカー000
競技車両に近いスピードで走行するよう。

セーフティーカー delegate
FIAの人員が載っているよう。

0bカー。この車がラリーカー通過前の最後の車両だった。

次の記事ではラリーカーを紹介していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ②~Day2 恵那SS上矢作/概要とアクセス~

ラリージャパンの観戦に行きました。
ここまでは木曜の開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてレース初日のDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)のチケットを確保することができたのでこちらの観戦に向かいました。

 

今回の観戦場所は恵那SSの上矢作です。恵那市のラリージャパンでの恵那市で一番有名なのはリエゾンの岩村城下町ですが、恵那はSSも山の中で見ごたえがあります。

今回の記事では恵那SSの上矢作会場について、会場の概要とアクセス、過ごし方について紹介してきます。

rally-ena.jp

rally-japan.jp

恵那SSの上矢作の観戦場所はおおよそこのあたりです。航空写真を見ての通り、完全に山の中です。



今回の恵那SSではSS8とSS11が実施されました。スケジュール上、SS8は2026/5/30 8:45〜、SS11は同日14:30〜のスケジュールでした。

上矢作の会場では、斜面のつづら折りを西側からラリーカーが登ってくる様子を東側の会場から眺められるようになっています。そのため、順光でラリーカーを眺められるのは午前のSS8です。

8時45分には競技開始となってしまうので、入場はそれまでに完了する必要があります。さらに駐車場から観戦場所までは20分ほどのバス移動なので、競技に間に合うためには朝相当早く現地に到着する必要がありました。

公式アナウンスでは駐車場の上矢作中学校からのバスの始発は6時半、駐車場の開場は6時となっていました。早すぎ。

さらに先人の過去の観戦ブログを覗いてみると、5時半に駐車場についたら先着多数との記載がありました。

というわけで、今回は3時発5時駐車場着のスケジュールにしました。狂ったスケジュールだ。

「上」矢作ということで矢作川をさかのぼっていくルートにしました。ちょうど夏至を過ぎたあたりということで、山間部ドライブに入るころには空も白んできており、ある程度は快適なドライブでした。しかし、矢作川沿いは道幅がかなり狭く、鹿の飛び出しもあったので、やや注意が必要でした。このルートで行くなら、ラリー観戦の前にラリーを自分が走ることになります。おとなしく国道を走るのがベストかもしれません。もっとも今回はGoogleMapの最短経路を信用したらこうなったわけですが。

駐車場に着いたのは朝5時。既に70名ほどがスタンバイしていました。徹夜組もいたんじゃないかと思うほどの混雑でした。

駐車場の上矢作中学校。朝5時でこの車の量。
初夏開催になったので明るいのが救い。

待機列では皆様、キャンピングチェアに腰掛けて防寒着を着られていました。自分も折り畳み椅子を持参していたのでバスが出る6時半までしばらく腰掛けて待機しました。山間部で朝の冷え込みがあり、偶然持参していたユニクロのウィンドブレーカーに助けられました。

6時過ぎに持参したチケットをリストバンドに交換してバスに乗り込みました。

バスは3号車。乗車のタイミングが良く、最前列を確保できた。

バスに揺られて朝の山道を登って到着した降車場から会場までは、1㎞ほどの徒歩移動がありました。管理人のバスが到着したタイミングでは、皆さんダッシュされており、観客席の争奪戦が既に始まっていました。

偶然、1週間前から週20kmのランニングをしていたので、ある程度前に出ることができました。

確保した席はヘアピンカーブを見下ろせる最前列でした。ちなみに隣の席のおじ様はトレイルランのTシャツを着用されており、最前列を確保できるのはある程度早く到着されてかつ1kmランができる程度の体力があることが必要条件となりそうです。

自席からの景色。完璧。

会場入り口では応援の小旗を頂きました。
トヨタGRの応援旗は布製で後のリエゾンでも大活躍しました。

自席についたのは7時ごろで、レース開始までは2時間ほどありました。折り畳み椅子を持参したので管理人は問題ありませんでしたが、椅子なしの場合は斜面で2時間待ちとなるので椅子の持参はほぼ必須でしょう。

次回以降の記事で撮影できた車両を紹介してきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ① ~オープニングセレモニー~

F1に引き続き、ラリージャパンに行ってきた。

ラリージャパンに先立ち、名古屋駅前のミットランドスクエアではラリーカーが展示されていた。

手前は2021年モデルのヤリス(いわゆるヴィッツ)。@ミッドランドスクエア

オープニングセレモニーの会場は名古屋城だった。トヨタ会長ことモリゾウ氏のドライビング展示などがあったようだが、ド平日の木曜の午後からであり、普通労働者階級の管理人が参加できたのは18時半からだった。

rally-japan.jp

オープニングセレモニーのチケットは無料の抽選形式であったが落選。それでも今後、名古屋城にラリーカーが来るのもあまりなかろうということで、一目見ようと会場へと向かった。

現地地図。愛知県体育館でのセレモニー後、ラリーカーは名城公園のフリーファンゾーンへと向かった。

セレモニーが終わるのは19時過ぎで日没後。明かりの不安があり、城の東側の二の丸東門桝形跡の街灯の灯を利用することとした。WRCは出場区分がラリー1~ラリー3の3区分に分けられており、そのうちラリー1が最高峰である。ラリー1に参加するのはトヨタ・ヒョンデ・フォードの3チームのみだ。

 

19時半頃になってようやく、エンジン音を轟かせた第一陣のラリー1の車両が姿を現した。

最初に姿を現したのは5台のトヨタヤリス。例年は白や黒基調であったが、今年のカラーリングは真紅がメインであった。先頭は勝田選手の18号車。

勝田選手のヤリス18号車。ドライバー国籍が天面に描かれている。

すぐ後ろには同僚のヤリスが続いていた。

続くヤリスはエルフィン・エバンスの33号車。
前車のエンジン排気を照らし出すライトがカッコいい。

33号車!

toyotagazooracing.com

続いてフィンランドのサミ・パヤリが操る5号車のヤリス。
トヨタのWRCチームの本拠地はフィンランドにある。

続いてはオリバー・ソルベルグの99号車。ソルベルグはスウェーデンのお方。

トヨタ勢ラストはセバスチャン・オゼの1号車。F1同様1号車は前年度のチャンピョンの車番となる。管理人贔屓のRedbullのスポンサーがついているようだ。

トヨタの5台に続いてヒョンデの3台のi20Nがやってきた。こちらライトが眩しく思うようには撮れず。

ヒョンデ。まともに撮れたのはこの1台のみ。

ヒョンデに続いてやってきたのは2台のフォードのプーマ。

フォード・プーマ。こちらも誰のクルマかはわからず…

ラリー1からラリー3のセレモニーは時間差で実施されるので、パレードはここで小休止する。ラリー1の車はこのまま名城公園のフリーファンゾーンに向かって、そこで積車に搭載されて翌朝のレースに向けて豊田スタジアムのねぐらへと戻る。

積車を見るべく名城公園へと向かった。向かった先では絶賛積み込み中であった。

既に積載されていたサミ・パヤリの5号車ヤリス。

5号車の後ろにはオリバー・ソルベルグの99号車ヤリスが搭載されていった。

2台積載されたの図

ヤリスの1号車とアドリアン・フルモーのヒョンデの16号車は一緒に積載された。

トヨタとヒョンデの混載を少し拡大してみる。

こちらはヒョンデの11号車と20号車。

こちらはジョン・アームストロングのフォード95号車、ジョシュア・マクアーリンのフォード55号車
95号車と55号車

管理人がみることができたラリー1の積車はこれで全部。ゆっくり移動したので一部の積車は既に会場を出た後だった。

積車を見た後は車両展示へ赴いた。

昼間にトヨタ会長が名古屋市長を乗せてドリフトしたのが手前のGRヤリス。
ドライバー名は会長を表す”Morizo”だった。

Morizo車。

トヨタ会長とともにでも走行をしたラトバラ氏のヤリス。

2台を木の向こうの名古屋城と絡めて。

展示車の見物をそこそこで切り上げ、ラリー2の車がセレモニーから引き揚げてくるのを待った。

ラリー2の先頭に現れたのはランチア・イプシロンの21号車。
ランチアは今年が日本ステージの初参加となるメーカーのようだ。

www.as-web.jp

フォードの25号車。

シュコダの23号車。

トヨタヤリスの20号車。

トヨタヤリスの26号車。

トヨタ・ヤリス27号車。

トヨタ・ヤリス30号車

チェコの自動車会社シュコダの31号車。

シトロエンの32号車。

またしばらくしてからラリー3グループの車がやってきた。

35号車

34号車

36号車・フォード

ラリー2, 3に登場すのはここにあげた以外にも数台あった。写真がないのは失敗しため…

ラリー3の車の積載中の図

最後までお使いいただきありがとうございました。土日の試合の様子についてはまた記事を記載予定です。