にらさき日記

20代男性のブログ。旅行、写真、F1など

スミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機④ ~第二次世界大戦後・朝鮮戦争・ベトナム戦争・冷戦期の米軍機:前半~

2025年3月に訪問した、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機材についての記事です。博物館の概要はこちらの記事をご覧ください。

ma-te.hatenablog.jp

 第2次世界大戦後、アメリカは西側諸国の盟主としてソビエト連邦との冷戦を主導しました。ソ連との直接的な武力衝突は避けつつも、代理戦争の形で朝鮮戦争やベトナム戦争を展開しました。1989年のソ連崩壊とともに新興国の台頭や国内の分断により、世界におけるアメリカの役割は変わりつつありますが、それでも大国であることには変わりないでしょう。軍用機の開発の歴史は航空技術開発の歴史でもあります。今回の記事では先の大戦からのアメリカの航空史を眺めつつ、展示機体を紹介していきたいと思います。

第二次世界大戦中までの米軍機の展示についてはこちらの記事を参照してください。

ma-te.hatenablog.jp

1.F86A Sabre(セイバー)
第二次世界大戦後期、アメリカは占領地であるドイツから得た航空技術の実験データを基にして後退翼を採用してジェット戦闘機を製作した。当初旧日本海軍に対抗する目的での設計であったが、完成は終戦に間に合わず、終戦2年後の1947年に初飛行をし、1949年より実戦配備された。1950年の朝鮮戦争では国連軍として参戦し、ソ連から貸与された中国人民解放軍のMiG15と交戦を繰り広げた。展示機はその際にソウル近郊の金浦空軍基地に所属していた空軍の機体とのことだ。なお、F86は日本の航空自衛隊でも採用され、日本でライセンス生産までされた。

F86

F86

2.MiG15-bis "Fagot B"

上記のF-86と朝鮮戦争で交戦していたのがこの機種だ。スターリンの高性能な高高度迎撃機の要求に応えて、1947年に初飛行した。F86同様、後退翼の機体であり、コクピットが与圧されている初の機体であった。朝鮮戦争ではMiG15はスピード、操作性、そして重装備で西側諸国を圧倒した。展示されている機体は人民解放軍でF2として運用されていたものだそう。

MiG15

MiG15。機種を突き合わせている相手は朝鮮戦争で交戦したF86。

3. Lockheed T-33A Shooting Star

1948年〜1957年の間に米空軍で使用された唯一の訓練用の機種。設備試験や訓練に使用された。展示されている機体は一度も塗装されることがないまま、Andrew空軍基地で使用されていたようだ。

T33A

4. North American F100D Super Sabre (スーパーセイバー)

F86の改良型として開発された、世界初の実用超音速戦闘機。ベトナム戦争では戦闘爆撃機として北爆に使用された。爆撃機として使用されたのは初期のみであったようで、以降は爆撃機の護衛戦闘機として使用されたようだ。ただ、レーダーの性能が当時の時代遅れのものとなっていたためあまり活躍しなかったようだ。

日本ではF86の後継として導入を検討されていたが、当時の岸信介首相に「戦闘爆撃機」と説明され、「日本に爆撃機はいらない!」と一喝されて導入は立ち消えとなった。在日米軍も使用しており、宮森小学校米軍機墜落事故は同型機によるもの。

展示されているこの機体は1957年から21年間運用され、キューバ危機、ベトナム戦争に参加している。日本での駐留歴もあるようだ。

F100D Super Sabre

5. MiG21F "Fishbed C"
MiG21はソ連の第2世代のジェット戦闘機で、1960年から運用されたデルタ翼が特徴的な機体だ。デルタ翼の採用によって優れた操作性、高速度を有しており、西側諸国でMiG21を凌ぐ能力を持つ機体はF16の登場までなかった。能力の割に構造が簡単で維持しやすため2020年を過ぎても今なお世界各国の空軍で運用されている。

実際に使用された戦乱としては、ベトナム戦争、プラハの春、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争などがある。

東ドイツやフィンランド、中国をはじめとする欧州、中東、アジア、アフリカの40か国近くで合計6000機以上が採用されていた。米軍基地内で展示されていたのを博物館展示用に移設した機体とのことだが、それまでの出自は明らかになっていない。

MiG21F

MiG21F

6. Republic F105D Thunderchief

F84(←P47 Thunderboltの後継)の後継として登場した、機体内に爆弾倉を持った超音速戦闘爆撃機。1959年に初飛行し、核爆弾の輸送も可能だった。

F100Dの置き換えも行っており、日本では嘉手納基地や板付基地(現福岡空港)のF100DがF105Dで置き換えられた。F100Dの項目で触れたように、ベトナム戦争の北爆の役割をF100Dから引き継いだ。1980年代から徐々にF4に置き換えられていった。

F105D

F105D(奥) 爆弾倉があるのがわかる

7. Vought RF8G Crusader
F8は世界初の艦上機としての超音速戦闘機で、米海軍と海兵隊を中心に運用された。空軍のF100戦闘機がマッハ1.3が最高速度であったのに対してF8はマッハ1.7が最高速度であった。主翼の前桁にアクチュエータを取り付けたことで、主翼の迎角を増して低速での安定性と離着艦の際の機首上げ角度を抑えることができるようになった。なお、Crusaderは十字軍の騎士という意味だ。

展示されているのはF8のうち、偵察型のRF8Gで、F8Uとしてデリバリーされて東南アジアで7年間運用された後に1987年まで偵察機として運用されたようだ。展示版には最後の海軍のF8との記載があった。

Vought RF8G Crusader
折りたたまれた主翼はアクチュエータで前側が持ち上がって迎角がある。

8. Grumman A6E Intruder

朝鮮戦争により、全天候下での低空侵攻能力と精密攻撃能力の必要性が明らかとなり、開発されたのがGrumman A6だ。Grumman A6は複座の艦載機で1960年に初飛行し、2019年まで運用された。

Grumman A6は攻撃機型、給油機型、電子戦機型などが運用に就いた。特に攻撃機型ではGrumman A6AからA6B、A6Cと順に改良されていき、最終形態としてGrumman A6Eとなった。ベトナム戦争や湾岸戦争などに参加した。

Grumman A6E

Grumman A6E

長くなってきたので以降の機体は後半の別の記事で紹介したいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

スミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機③ ~ドイツ機とコンコルド~

ワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館別館にはドイツ機が少なからず展示されている。第二次世界大戦後、ドイツは日本同様に航空機開発を禁止されたが、現在ではフランスと並んでエアバス機の開発を行うほどに航空大国である。第二次世界大戦時よりドイツは航空宇宙技術に秀でており、V2ロケットや世界初の実戦を行ったジェット機であるメッサーシュミットはいずれもドイツで製作されたものである。世界中の機体を収集しているスミソニアン博物館においても、航空史上における重要なドイツの機体は少なからず展示されており、今回はこれらの機体を紹介する。

第二次世界大戦から活躍したユンカース52/53mとコンコルド

また、コンコルドは世界で唯一営業飛行した航空機であり、こちらの展示の様子も今回の記事で紹介する。

スミソニアン航空宇宙博物館の訪問記のまとめはこちらの記事を参照頂きたい。

ma-te.hatenablog.jp

前回の記事はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

1. ヒンデンブルク号 LZ129 hindenburg (模型)

飛行船は飛行機よりは遅いものの、駆逐艦に追尾できない高速性を生かして20世紀初頭より空の輸送手段となっていた。1930年代でまではドイツからアメリカや南米までの飛行船路線があったようだ。第一次世界大戦で飛行船はドイツからイギリスへの長距離爆撃にも使用されていた。

展示されている模型の原型であるLZ129ヒンデンブルク号はこれまでのあらゆる飛行機械のなかで最も巨大な飛行船である。1936年から運行開始し、大西洋横断旅客輸送に使用された。旅客飛行のほか、1936年のベルリンオリンピックではオリンピック旗をたなびかせてスタジアムの上空を横切る宣伝飛行をしたりしている。当初は浮揚ガスとしてヘリウムが使用されていたが、アメリカによるドイツへの軍需物資の禁輸により水素ガスの使用に変更された。そんなさなか、1937年に大西洋を横断してアメリカ・ニュージャージー州・レイクハーストの海軍基地に着陸する際に炎に包まれて墜落した。以降、水素で満ちた飛行船による輸送は欧米で許容されなくなり、第二次世界大戦の初期より残存した飛行船も引退して飛行船の時代は終焉となった。

ヒンデンブルク号

ヒンデンブルク号とA380などの比較図。wikiより転載。

LZ 129 (飛行船) - Wikipedia

2. フォッケウルフ Focke-Wulf Fw 190 F

ドイツ空軍で1939年に初飛行した機種。戦闘機と爆撃機の両者の役割を果たせるように開発され、実際に第二次世界大戦初期のドーバー海峡では英国空軍のスピットファイアを実戦で圧倒していたようだ。被弾時の生残性を高めるために、主要部分に防弾鋼板が張られていたり、オイル系統も装甲されたうえで2重の冗長性を持たせてある。戦後に連合国の調査では第二次世界大戦におけるドイツの最良の戦闘機と評された。多数の機体が欧米各国に保存展示されている。
フォッケウルフ Fw190 - Wikipedia

フォッケウルフ Fw 190 F

3. ハインケル Heinkel He 219 A Uhu
第二次世界大戦中、英国軍は損害を避けるために夜間に大都市爆撃を行っており、それに対抗するために制作された夜間戦闘機がこちら。尾輪の代わりに前輪を採用することで離着陸時の視界を保つことができるようになったほか、機首に対空レーダーを装備していた。エンジン供給が安定せず主力機にならなかった。Uhu(ウーフー)はワシミミズクという意味。展示機体は世界でこの機体のみ。

He 219 (航空機) - Wikipedia

He 219 A Uhu

4. アラド Arado Ar 234 B Blitz
第二次世界大戦後半で連合国軍に制空権を握られたドイツ軍が偵察と爆撃を安全に行うことを目的として開発されたジェット機。最高速度は連合国軍の主力戦闘機であったP51マスタングやスピットファイアを大きく上回っていた。単座でパイロットは操縦と爆撃を一人ですべて行っていた。爆弾はすべて翼の下に外部搭載していた。性能としては連合国軍を上回ってはいたがドイツ軍の戦力が残っておらず活躍の場は限られていたようだ。

アラドAr234 - Wikipedia

Arado Ar 234 B Blitz

5. メッサーシュミット Me163 B-1a
ロケット推進航空機の走りであったのがMe163だ。離陸から着陸まですべてをロケット動力のみで行い、迎撃戦闘機として使用された。上昇力と高速性は連合国軍の性能を上回っていたが航続距離が極端に短く、同機の配備基地を避けて連合国軍が飛行するようになり、会敵することもなくなった。ドイツ空軍ではほかにMe262が有名であるが、こちらはスミソニアン博物館の本館に展示されており、別館にはない。Me163とMe262の資料はドイツより日本海軍潜水艦で日本に輸送されており、それぞれ秋水・橘花の開発に利用された。

ロケット推進航空機としてはほかに日本軍の桜花が有名ではあるが、ジェットエンジンの発展の前にロケット推進航空機自体が廃れてしまった。

Me 163 B-1a 機体手前に搭載ロケットエンジンが展示されている。

Me163B-1a

6. Ju 52/3m (ユンカース)
ルフトハンザドイツ航空で運行された17人乗りの機体。3発エンジンが特徴で、ベルリンからロンドン、パリ、アルプス山脈を越える路線に就航していた。1932年に導入され、第二次世界大戦の間はドイツ空軍の輸送機、爆撃機などとして使用された。ヒトラーや蔣介石の専用機となった機体もある。

保有機材 | Lufthansa
The first Lufthansa during the Nazi era - Lufthansa Group

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

Ju 52/3m

戦後、ドイツは日本同様に航空開発を禁止された。1955年のパリ協定で西ドイツの主権が回復すると同時に航空開発の禁止が解除された。その後は米国の戦闘機やフランスの輸送機のライセンス生産などを行い、そののちにヨーロッパ内での国際共同開発に参画するようになった。ユーロファイターなどの戦闘機のほかエアバスに参画してA300などを皮切りに多数の旅客機を世に送り出している(がこれらの機体はスミソニアンに展示されていない)。

番外編:コンコルド

英仏の2か国で共同開発された人類初の超音速旅客機。離着陸時に機首が折れ下がるのが特徴。1960年代から開発が進められており、ドイツは参画することができなかった。1969年に初飛行し、1975年に就航した。

実際に長く運航したのはブリティッシュエアウェイズとエールフランスの2社の大西洋路線のみだが、パンアメリカン航空や日本航空もコンコルドを発注していた。多くの航空会社はオイルショックによる燃油高騰を受けて発注をキャンセルした。

2000年のパリ・シャルルドゴール空港での墜落事故や2001年の9.11以降の航空需要低迷のあおりを受けて2003年に退役した。

コンコルド

コンコルド

コンコルド

エンジンの外気取り込み口。

スミソニアン博物館の展示機のシリーズは、宇宙開発と大戦後の米軍機の記事をそれぞれ準備しています。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

オーロラを見に行く⑧ ノルウェー・ナルヴィクからストックホルムまで寝台列車に乗る!

以前連載していた、北欧・ノルウェー/スウェーデンでのオーロラ鑑賞旅行の続きです。
これまでのノルウェー/スウェーデンでのお話はこちらを参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

ma-te.hatenablog.jp

オーロラ鑑賞後は飛行機で帰国の途に就いたのでしたが、実際は夜行列車でノルウェー・ナルヴィクからストックホルムに向かい、そこから飛行機で帰国の予定でした。

今回はナルヴィクからストックホルムまでの夜行列車についての記事です。

列車の始発駅のナルヴィクはもともとメキシコ湾流という暖流によって不凍港となっている北欧の港町で、スウェーデンのキルナ鉄山の輸出港として発展してきました。

キルナ鉄山からナルヴィクまで、鉄鉱石はスカンジナビア山脈を超えて鉄道輸送されています。ノルウェー・ナルヴィクからスウェーデン国境駅のRiksgränsen駅までがオフォーテン線(Ofoten Line)で、同駅以降はスウェーデンのIron Ore線となっています。

ストックホルムまでの夜行列車はIron Ore線のBoden駅からIron Ore線を離れてストックホルムへと向かいます。

キルナ鉄山の鉄鉱石輸送に使われるOfoten lineとIron Ore line。スカンジナビア山脈の北にあるノルウェーの港町がナルヴィク、そしてボスニア湾に面しているスウェーデンの港町がルーレオ。キルナ鉄山はその中間地点に位置している。
画像出典:wiki

列車に乗る2日ほど前、滞在していたアビスコ周辺には手軽にカロリー補給できる飲食店がないため、キルナのバーガーキングへと向かいました。

バーガーキング帰りにキルナ駅に寄ったところ、数日後に乗車予定だったストックホルム行の列車が停まっていました。出発の30分ほど前でしたが、時間調整をしていたようです。

駅裏にスキー場があるキルナ駅

キルナ駅でストックホルムへの出発を待つ

車両の側面はコルゲート板が目立っていた

前の客車はルーレオ行きだった

ストックホルムとルーレオ行きが併結していた

最後尾は寝台車だった。

遠く離れたストックホルムへの出発を待つ

キルナ駅でじっくり撮影した後はオーロラハンティングへと向かった。その様子は前回の記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

オーロラ観測は夜間のみしかできず、昼間は時間に余裕があるため、翌日、昼間の走行シーンも抑えました。

キルナを出発してナルビクへと向かう、ストックホルムから夜を越えてきた夜行列車。

同日夜に、ナルヴィクを出てストックホルムへと向かっていく列車のカットも抑えました。場所は宿泊していたアビスコの最寄りのアビスコ駅です。

アビスコにて

アビスコにて


乗車記録

ナルヴィクからストックホルムを結ぶ列車はロシアのムルマンスクを除いた世界最北端の駅に向かうことができる列車です。日本にいるときからブログ記事などで存在は知っていましたが、なかなか乗る機会に恵まれませんでした。

今回は半年ほど前にナルヴィクからストックホルムへのチケットを確保したものの、前日に区間運休が決まり、全額払い戻しました。

今回のチケット

列車に乗る前日、管理人が乗車するナルヴィク駅からボーデン駅(キルナのさらに南)までの運休が決まりました。

運休!そして振替先の列車は満席。詰んだ…
チケットはキャンセル!バイバイ、スウェーデン国鉄!

寝台車のチケットはあきらめてキャンセル、その勢いで同日の夕方ナルヴィク発、オスロ経由、ストックホルム行のSASの航空券とストックホルムの宿を確保しました。Trip.comは前日予約できて最強でした。

搭乗したSAS。オスロ空港にて。

雪は降り続いており、デアイシングされた。

ストックホルムで宿泊した後は、スーツケースを預けてノーベル博物館を訪問し、帰りの飛行機の都合もあり、中央駅へと向かいました。

折しも中央駅では乗車予定だった車両がやってくるタイミングでした。

乗車予定だったナルヴィクからの寝台列車。ストックホルム中央駅にて

重連だった

1両目は1397号機

2両目は1326号機だった

到着後、しばらくして切り離された

ストックホルム中央駅を後に去っていった

また乗りに行けたらと思っていましたが、この2か月後に列車は廃止となってしまったようです。残念。

nachtzug.net

現在では運転区間をBodenで区切っており、乗り継ぎの形でナルヴィクからストックホルムまで列車旅ができるようです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑧~Day3 トヨタスタジアム→額田SSに向かうラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパン最終日は彼女氏を連れて観戦に赴いた。この日はリエゾンでの撮影に徹することとした。残念ながら天気は曇り。意外と順光で撮影できる箇所は少なかったが、曇天が幸いして様々なアングルの写真が撮られたことだろう。

最終日のこの記事に至るまでの撮影はこちらを参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

ラリージャパンの最後のリエゾンでの撮影は鞍ヶ池SS後にトヨタスタジアムのサービスパークでの整備を終えたラリーカーが額田SSに向かうリエゾン区間とした。

ラリーカー通過前にやってきたセーフティーカーはこちら。

観客席のセーフティーカー。
ドライバーさんのお手振りいただきました。ありがとうございます。

コースのセーフティーカー。これくらい晴れてくれたらなあ。。。

0aカー。お手振り頂きました。ありがとうございます。

WRC TVの国際放送用の車両。レンタカー使用。

関係者輸送車両?

0bカー。お手振り頂きました。ありがとうございます。

最初に姿を現したのはトヨタヤリス99号車・ソルベルグ選手。

白バイの追跡を受ける99号車・ソルベルグ選手

続いてフォード55号車・マカリアン選手が姿を現した。

フォード55号車・マカリアン選手

同僚の95号車・アームストロング選手も続いて姿を現した。

フォード95号車・アームストロング選手。
ボンネットをゆがめてしまったよう。

フォードが去った後に姿を現したのははヒュンダイ20号車・パッドン選手

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

ヒュンダイは続いて11号車・ヌービル選手が姿を現した。

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手。ちょうどヒュンダイ16号車・フルモー選手のレッキカーとすれ違っており手を振りあっている。

そしてヒュンダイ3台目の16号車・フルモー選手が通過。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手。
後ろのほうでは坂を上っているトヨタ・ヤリスが2台連続している。

残されたラリー1車両は、最初からだいぶ間が空いているが、トヨタヤリス4台だ。
最初に通過したのは、勝田選手の18号車。

18号車・勝田選手。この場所には自分と彼女氏の2名しかいなかったが、それでもお手振りいただいた。カッコ良すぎ、ファンになるしかない。

連続して5号車・サミパヤリ選手が通過。

5号車・サミパヤリ選手

続いてRedbullカラーのオジェ選手の1号車が通過。

1号車・オジェ選手。

そして、最後に通過したラリー1車両は33号車・エバンス選手。

33号車・エバンス選手。今大会の優勝選手!

これで管理人のラリージャパンにおけるラリー1車両の撮影はおしまい。気が向いたらラリー2、ラリー3の車両も車両別にまとめた記事を作りましょうか。

初回観戦でしたが、リエゾンでも十分楽しめました。ラリードライバーはリエゾンではお手振りをいただけることが多いです。チケットが無くてもリエゾンに行ってみましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑦~Day3 額田SS→三河湖SS→鞍ヶ池SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパン最終日は彼女氏を連れて観戦に赴いた。
本題に入るまでにこれまでの2026年のラリージャパンの記事を紹介する。
ラリー前日の開会式の様子はこちら。

WRC Japan ラリージャパン2026 ① ~オープニングセレモニ@名古屋城ー~ - にらさき日記

ラリー初日は参加できなかったが、2日目は恵那SSの上矢作観戦地区とリエゾン2か所で観戦することができた。記事はこちら。

WRC Japan ラリージャパン2026 ②~Day2 恵那SS上矢作/概要とアクセス~ ラリージャパンでの恵那SS上矢作での観戦の様子です。 - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ③~Day2 上矢作SS/ラリーカー通過まで~ラリージャパンの恵那SSの上矢作エリアで撮影したルートノートカーやセーフティーカーの紹介です。 - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ④~Day2 恵那SS上矢作エリアでのラリー1車両:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑤~Day2 笠置山SS→恵那SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑥~Day2 小原SS→藤岡SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~ - にらさき日記

上記がこれまでの記事だ。

最終日はリエゾンでの観戦とした。彼女氏は終日前日に恵那SSで頂いたトヨタGRの応援フラッグとラリージャパンのフラッグの2つを振って楽しそうにしていてくれた。

天気は残念ながら完全に晴れとはいかず、空は終始厚い雲に覆われていた。

最初に向かったのは額田SSから三河湖SSに向かうリエゾン区間。日本でよく見る山里の田んぼの中の直線道路をまっすぐラリーカーが向かってくる構図の場所とした。

通過した順にラリーカーを紹介していきます。

最初に姿を現したのはトヨタヤリス99号車のソルベルグ選手。前日のSSでは残念ながらクラッシュしてしまったが、この日は復活してくれた。

トヨタヤリス99号車・ソルベルグ選手

フォード55号車・マカリアン選手

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

フォード95号車・アームストロング選手
昨日ガムテープ修理されていた左フロントはきれいに修復されていた

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

トヨタヤリス18号車・勝田選手

ヒュンダイ16号車・フルモー選手

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手
対向のステップワゴンと危く被るところだった

このタイミングで通過していったセーフティーカー
後方ではオジェ選手が路肩で作業をしていた

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

作業中のオジェ選手とその様子を遠くからコンデジで撮影する愛知県警。
今後の規制強化に向けた布石だろうか。実際、イエローカットするドライバーも見かけたので、今後の規制強化はあっても仕方ないように思う。

パトカーは今の時代となってはやや古風な180系クラウンだった。
導入時期は2009年ごろまでなので17年以上使用された車両のようだ。

ラリー1で最後に通過していったトヨタヤリス1号車・オジエ選手

ラリー2の一部の車両を見送ってから次の三河湖SS→鞍ヶ池SSのリエゾンのポイントへと向かった。

場所は下山の里。施設利用者でないと駐車禁止の場所であったが、同乗の彼女氏に五平餅を食べに行ってもらい、その間に撮影することができた。
時間がカツカツであったので最初のヤリスは逃してしまった。

フォード55号車・マカリアン選手

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

フォード95号車・アームストロング選手
先程はなかったアクリル板がついている。

白バイに追いかけられるヒュンダイ20号車・パッドン選手

トヨタヤリス18号車・勝田選手
前の車が詰まっていたためにのぼりとは絡められず…ただ手を振って頂き嬉しかった。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手

ヤリス1号車・オジェ選手
ファンサービスのためにドアを開けているのではなく、純粋に暑いから開けられているようだ。ラリーカーは非冷房のようだ。

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手

今回はここまで。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑥~Day2 小原SS→藤岡SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

恵那SSに向かうラリーカーを撮影した後は、さらに先のリエゾンに向かった。
前回の笠置山SS→恵那SSのリエゾンでの撮影記録はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

次のリエゾンの撮影地への移動途中、もともと撮影予定地としていた岐阜/愛知県境の小原トンネルの出口付近には多数ギャラリーが居り、出口の路側帯は既に満員御礼で諦めざるをえなかった。

今回のラリージャパンでラリーカーがトンネルを通過する場所としては、有名な伊勢神トンネル(但し一般人は撮影不可)以外に、新伊勢神トンネル、足助トンネル、観音山トンネル、今回の小原トンネル、松平トンネルが挙げられる。地形を見る限りは小原トンネルがベストだろう。

ただ、実際に撮影された方の作品を拝見すると、必ずしもヘッドライトが点灯されているわけではないようで、その点については注意が必要そうだ。

今回はトンネル越しのラリーカーの撮影はあきらめて、めぼしいポイントをロケハンして何とか通過に間に合わせた。今回は正面アップの構図が取れる場所を選定した。

最初にやってきたのは0aカーだった。

ラリーカーの直前に通過する0aカー。

しばらく時間を空けてから重低音を轟かせてやってきたのはフォード・ピューマ55号車・マクアーリン選手だった。

フォードピューマ55号車・マクアーリン選手
助手席にいるコドライバーであるトレイシー選手が浮き上がっている。

フォードの次に通過していったのはヒュンダイ20号車。ニュージーランド出身のペアだ。

ヒュンダイ20号車・パッドン選手
助手席のコドライバーのケナード選手が浮き上がっている。

続いて2台目のフォード95号車が姿を現した。車体の左前面を破損してテープ補修したようだ。

フォード・ピューマ95号車 アームストロング選手
左フロントのガムテ修理がラリーカーらしい

フォード2台が去った後はヒュンダイの車両が続いた。
フルモー選手の16号車、ヌービル選手の11号車の順に登場した。

ヒュンダイ16号車・フルモー選手
右サイドミラー吹き飛ばしてますね。

白バイ隊員氏に続いて登場したヒュンダイ11号車・ヌービル選手。

白バイが去ったあとのヌービル選手の車両。
しかし、よく短時間でピント合ったな。

フォード・ヒュンダイ勢が去った後はトヨタ・ヤリスが通過していった。通過順に写真を貼っていきます。

勝田選手のトヨタヤリス18号車!

サミパヤリ選手のトヨタヤリス5号車!
午前の恵那SSで外れかけていた左サイドミラーは無くなったままであった。

オジェ選手のトヨタヤリス1号車
こちらも右サイドミラーを吹き飛ばした模様。

最後に通過したエバンス選手の33号車。
日が傾いていくスピードがあまりに早く、耐えきれず影落ちしてしまった。

この後はラリー2などの車両も撮影しましたが、それはまた別記事で。

この日は朝5時現地着のスケジュールでこの時点で体力の限界。翌日は彼女氏付き添いでのリエゾン観戦なのでこの撮影を終えて帰宅しました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ⑤~Day2 笠置山SS→恵那SSのリエゾンでラリー1車両を撮影する!:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

午前の恵那SSを上矢作で観戦した後は、恵那市内のリエゾンに向かった。有名な岩村城下町は午後は光線がよくないため、今回はパス。


前回の恵那SSを上矢作地区の最前列で観戦した記事はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

 

光線状態がよい場所を探して落ち着いたのが恵那市内のこちら。笠置山SSから恵那SSへと向かうリエゾン区間だ。当初は国道257号を南下するルートを想定していたが、予想を外して急遽再選定したのがこちら。

田植えが終わった田んぼと新緑、そして抜けるような青空、と日本の初夏を象徴するスポットを見つけられた。

ラリーカーの通過の前には各種セーフティーカーが通過していった。

セーフティーカー
ラリーといったらスバル。将来のWRC復帰の噂もあるが真相はいかに。

0aカーの前に通過していった0bカー
トヨタヤリス

ラリーカーの直前に通過していった0aカー
こちらもトヨタヤリス

最初に通過していったラリーカーはこちらのフォード。
カーブのはるか向こうからエンジン音を轟かせてやってきた。

フォード55号車・マカリアン選手

フォード95号車・アームストロング選手

ちなみにラリーカーの場所はWRC公式のラリージャパン特設ページのlive mapsというところから見ることができた。

www.wrc.com

2台のフォードが去っていった後に姿を現したのはヒュンダイのフルモー選手。元整形外科志望医学生だ。

地元に留まるのではなく世界を舞台に戦う、一般にはリスキーと捉えられがちな選択肢をとることができたのは何故なのだろうか。そんな選択をとった彼がカッコいいことには間違いない。

ヒュンダイ・45号車、フルモー選手

次に姿を現したのはlocal heroの勝田選手・ヤリス18号車。

長久手出身だそうで、この地域にも家族の思い出などあるのだろうか。馬籠に行くついでに通ったりしてそうだが。

トヨタヤリス18号車・勝田選手

勝田選手の次は再びヒュンダイが続いた。

ヒュンダイ20号車・パッドン選手

パッドン選手の次は今回総合3位だったサミパヤリ選手。

トヨタヤリス5号車・サミパヤリ選手
午前の恵那SSで外れかけていた左サイドミラーは無くなってしまった。

再びヒュンダイがやってきた。ヒュンダイは全3台参加だったのでこれで最後。
最後のヒュンダイはヌービル選手。フィンランド在住の勝田選手のご近所さんのようだ。

ヒュンダイ11号車・ヌービル選手

後にはトヨタヤリスが続いた。昨年チャンピョンだったセバスチャン・オジェ選手。

トヨタヤリス1号車・オジェ選手

ラリー1参加車で最後に姿を現したのは今回のラリージャパンで優勝したエバンス選手。

トヨタヤリス33号車・エバンス選手

トヨタヤリス99号車のオリバー・ソルベルグ選手の車が現れていないが、これは今回のリエゾンの直前の笠置山SSでクラッシュしたため。この日はリタイアしてしまったが、翌日は力強い走りを見せてくれた。

岩村城下町のリエゾンで話題になる郵便配達車も通過していった。

この日はもう1か所リエゾンの撮影に向かいました。その成果は次の記事で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ④~Day2 恵那SS上矢作エリアでのラリー1車両:トヨタ・ヤリス/ヒュンダイ・i20N/フォード・ピューマ~

ラリージャパンの観戦に行きました。
開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてラリーDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)のチケットを確保できたのでこちらの観戦に向かいました。ステージの概要とアクセスについてはこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

前回の記事ではラリーカーが通る前に通過していった裏方の車両を通過順に紹介しました。

ma-te.hatenablog.jp

今回はラリー1の車両を掲載していきます。

最初に通過したのはこちらのMスポーツのフォード・ピューマ55号車。

フォード・55号車、マカリアン選手。

後ろ姿。ルートノートカーは[11‐XX]の仮ナンバーであったが、ラリーカーは[10‐XX]の仮ナンバーだった。

続いて先程の同僚のフォード・95号車、アームストロング選手が通過。
コドライバーがラリーノートを見ている様子がわかる。

土を巻き上げて走っていった。

次に姿を現したのはヒュンダイ20号車のパッドン選手。

側面!

右側面にはNurburg Ringの記載があった。ヒュンダイは2026年の同所でのツーリングカーレース(TCR)で優勝している。

フルモー選手が操るヒュンダイ16号車

側面!

同車のバックショット。ヒュンダイは仮ナンバーを曲げるようだ。

トヨタで最初に姿を現したのはわれらが日本の勝田選手のヤリス18号車!

他車と比べてもまあまあ速かった。

カッコいい

母国の選手が世界を舞台に戦っている姿には勇気づけられますね。
自分も頑張らないとな。

勝田選手に続いてやってきたのはヌービル選手のヒュンダイ11号車。

土埃を目の前で巻き上げて行った。

後ろ姿

サミパヤリ選手の5号車ヤリス

左サイドミラーが折れている。どこかでぶつけたのかな。

バックショット!

オジェ選手のヤリス1号車。Redbull塗装だ。

リアウィングには「翼を授ける」のロゴ入り。

Redbullのロゴは後にもある。

会場の群衆を背景に斜面を駆け上がっていった。

ソルベルグ選手の99号車。

砂埃を巻き上げて行った。

後ろ姿

エバンス選手の33号車

エバンス選手はこの年のラリージャパンで優勝した。

後ろ姿

ラリー1の最後の車両として坂を駆けて行った。

次の記事では上矢作の次に訪問したリエゾンでの様子を取り上げます。
ラリー2、3の車両は別記事で紹介します。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ③~Day2 恵那SS上矢作/ラリーカー通過前の裏方車両~

ラリージャパンの観戦に行きました。
ここまでは木曜の開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)をのチケットを確保できたのでこちらの観戦に向かいました。ステージの概要とアクセスについてはこちらの記事を参照ください。

ma-te.hatenablog.jp

今回の記事ではラリーカーが通る前に通過していった裏方の車両を通過順に紹介していきます。

管理人が現地到着後、最初に撮影したのはこちら。
ラリー2のフォード・25号車のルートノートカー。

ルートノートカーはSSの競技が始まる90分前までに最高速度を60km/hまでに抑えて実際に走行する路面の様子をチェックする車両です(「レッキ」)。ルートノートカーのクルーは実際のラリーカーに必ずしも乗車するわけではなく、別で人員確保されているようです。

同上。UKのステッカーがあるのでイギリスから持ってきたのでしょうか。
三河の仮ナンバーがシュール。

こちらはラリー1のフォード・95号車のアームストロング選手のルートノートカー。

ラリー1のフルモー選手のヒョンデ・16号車のルートノートカー。ポッキーナンバーだ。

BMWのロゴは潰されていた。

ヒョンデ・20号車のルートノートカー。パッドンの車両だ。

メディアカー

今回優勝したトヨタ・33号車エバンス選手のルートノートカー。

フォード・55号車のルートノートカー。マカリアン選手の車両だ。

しばらくの停車して後続車に道を譲った後に出発していった。

先の2台を抜かしていくランチア・21号車のルートノートカー。
21号車は今回のラリー2優勝のグリアジン選手の車両だ。

同じくトヨタ99号車・ソルベルグ選手のルートノートカー。

同じくトヨタ5号車・サミパヤリ選手のルートノートカー。

トヨタ・1号車、オジェ選手のルートノートカー。

SAS Timing Car。レンタカーナンバー。
計時システムや位置監視システム、コースの状態監視を担う車両のようです。

ハイエース

何の車だったんだろう…
【追記】MOSCOというNPO法人様の車だったようです。

 

セーフティーカー No2

パトカー

メディカルカー。藤田医大の整形外科が担当されたよう。
助手席はドクターかな。

セーフティーカー。この車が来るとラリーはもうすぐ。
沿道でもよく手を振っていただいた印象が強い車両。

セーフティーカー000
競技車両に近いスピードで走行するよう。

セーフティーカー delegate
FIAの人員が載っているよう。

0bカー。この車がラリーカー通過前の最後の車両だった。

次の記事ではラリーカーを紹介していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ②~Day2 恵那SS上矢作/概要とアクセス~

ラリージャパンの観戦に行きました。
ここまでは木曜の開会式は抽選に外れて、名古屋城外でのラリーカーの観戦のみ、そしてレース初日のDay1は金曜日ということで管理人は業務のため参加できず、となっていました。

ma-te.hatenablog.jp

しかし、Day2では、スペシャルステージ(SS)のチケットを確保することができたのでこちらの観戦に向かいました。

 

今回の観戦場所は恵那SSの上矢作です。恵那市のラリージャパンでの恵那市で一番有名なのはリエゾンの岩村城下町ですが、恵那はSSも山の中で見ごたえがあります。

今回の記事では恵那SSの上矢作会場について、会場の概要とアクセス、過ごし方について紹介してきます。

rally-ena.jp

rally-japan.jp

恵那SSの上矢作の観戦場所はおおよそこのあたりです。航空写真を見ての通り、完全に山の中です。



今回の恵那SSではSS8とSS11が実施されました。スケジュール上、SS8は2026/5/30 8:45〜、SS11は同日14:30〜のスケジュールでした。

上矢作の会場では、斜面のつづら折りを西側からラリーカーが登ってくる様子を東側の会場から眺められるようになっています。そのため、順光でラリーカーを眺められるのは午前のSS8です。

8時45分には競技開始となってしまうので、入場はそれまでに完了する必要があります。さらに駐車場から観戦場所までは20分ほどのバス移動なので、競技に間に合うためには朝相当早く現地に到着する必要がありました。

公式アナウンスでは駐車場の上矢作中学校からのバスの始発は6時半、駐車場の開場は6時となっていました。早すぎ。

さらに先人の過去の観戦ブログを覗いてみると、5時半に駐車場についたら先着多数との記載がありました。

というわけで、今回は3時発5時駐車場着のスケジュールにしました。狂ったスケジュールだ。

「上」矢作ということで矢作川をさかのぼっていくルートにしました。ちょうど夏至を過ぎたあたりということで、山間部ドライブに入るころには空も白んできており、ある程度は快適なドライブでした。しかし、矢作川沿いは道幅がかなり狭く、鹿の飛び出しもあったので、やや注意が必要でした。このルートで行くなら、ラリー観戦の前にラリーを自分が走ることになります。おとなしく国道を走るのがベストかもしれません。もっとも今回はGoogleMapの最短経路を信用したらこうなったわけですが。

駐車場に着いたのは朝5時。既に70名ほどがスタンバイしていました。徹夜組もいたんじゃないかと思うほどの混雑でした。

駐車場の上矢作中学校。朝5時でこの車の量。
初夏開催になったので明るいのが救い。

待機列では皆様、キャンピングチェアに腰掛けて防寒着を着られていました。自分も折り畳み椅子を持参していたのでバスが出る6時半までしばらく腰掛けて待機しました。山間部で朝の冷え込みがあり、偶然持参していたユニクロのウィンドブレーカーに助けられました。

6時過ぎに持参したチケットをリストバンドに交換してバスに乗り込みました。

バスは3号車。乗車のタイミングが良く、最前列を確保できた。

バスに揺られて朝の山道を登って到着した降車場から会場までは、1㎞ほどの徒歩移動がありました。管理人のバスが到着したタイミングでは、皆さんダッシュされており、観客席の争奪戦が既に始まっていました。

偶然、1週間前から週20kmのランニングをしていたので、ある程度前に出ることができました。

確保した席はヘアピンカーブを見下ろせる最前列でした。ちなみに隣の席のおじ様はトレイルランのTシャツを着用されており、最前列を確保できるのはある程度早く到着されてかつ1kmランができる程度の体力があることが必要条件となりそうです。

自席からの景色。完璧。

会場入り口では応援の小旗を頂きました。
トヨタGRの応援旗は布製で後のリエゾンでも大活躍しました。

自席についたのは7時ごろで、レース開始までは2時間ほどありました。折り畳み椅子を持参したので管理人は問題ありませんでしたが、椅子なしの場合は斜面で2時間待ちとなるので椅子の持参はほぼ必須でしょう。

次回以降の記事で撮影できた車両を紹介してきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

WRC Japan ラリージャパン2026 ① ~オープニングセレモニー~

F1に引き続き、ラリージャパンに行ってきた。

ラリージャパンに先立ち、名古屋駅前のミットランドスクエアではラリーカーが展示されていた。

手前は2021年モデルのヤリス(いわゆるヴィッツ)。@ミッドランドスクエア

オープニングセレモニーの会場は名古屋城だった。トヨタ会長ことモリゾウ氏のドライビング展示などがあったようだが、ド平日の木曜の午後からであり、普通労働者階級の管理人が参加できたのは18時半からだった。

rally-japan.jp

オープニングセレモニーのチケットは無料の抽選形式であったが落選。それでも今後、名古屋城にラリーカーが来るのもあまりなかろうということで、一目見ようと会場へと向かった。

現地地図。愛知県体育館でのセレモニー後、ラリーカーは名城公園のフリーファンゾーンへと向かった。

セレモニーが終わるのは19時過ぎで日没後。明かりの不安があり、城の東側の二の丸東門桝形跡の街灯の灯を利用することとした。WRCは出場区分がラリー1~ラリー3の3区分に分けられており、そのうちラリー1が最高峰である。ラリー1に参加するのはトヨタ・ヒョンデ・フォードの3チームのみだ。

 

19時半頃になってようやく、エンジン音を轟かせた第一陣のラリー1の車両が姿を現した。

最初に姿を現したのは5台のトヨタヤリス。例年は白や黒基調であったが、今年のカラーリングは真紅がメインであった。先頭は勝田選手の18号車。

勝田選手のヤリス18号車。ドライバー国籍が天面に描かれている。

すぐ後ろには同僚のヤリスが続いていた。

続くヤリスはエルフィン・エバンスの33号車。
前車のエンジン排気を照らし出すライトがカッコいい。

33号車!

toyotagazooracing.com

続いてフィンランドのサミ・パヤリが操る5号車のヤリス。
トヨタのWRCチームの本拠地はフィンランドにある。

続いてはオリバー・ソルベルグの99号車。ソルベルグはスウェーデンのお方。

トヨタ勢ラストはセバスチャン・オゼの1号車。F1同様1号車は前年度のチャンピョンの車番となる。管理人贔屓のRedbullのスポンサーがついているようだ。

トヨタの5台に続いてヒョンデの3台のi20Nがやってきた。こちらライトが眩しく思うようには撮れず。

ヒョンデ。まともに撮れたのはこの1台のみ。

ヒョンデに続いてやってきたのは2台のフォードのプーマ。

フォード・プーマ。こちらも誰のクルマかはわからず…

ラリー1からラリー3のセレモニーは時間差で実施されるので、パレードはここで小休止する。ラリー1の車はこのまま名城公園のフリーファンゾーンに向かって、そこで積車に搭載されて翌朝のレースに向けて豊田スタジアムのねぐらへと戻る。

積車を見るべく名城公園へと向かった。向かった先では絶賛積み込み中であった。

既に積載されていたサミ・パヤリの5号車ヤリス。

5号車の後ろにはオリバー・ソルベルグの99号車ヤリスが搭載されていった。

2台積載されたの図

ヤリスの1号車とアドリアン・フルモーのヒョンデの16号車は一緒に積載された。

トヨタとヒョンデの混載を少し拡大してみる。

こちらはヒョンデの11号車と20号車。

こちらはジョン・アームストロングのフォード95号車、ジョシュア・マクアーリンのフォード55号車
95号車と55号車

管理人がみることができたラリー1の積車はこれで全部。ゆっくり移動したので一部の積車は既に会場を出た後だった。

積車を見た後は車両展示へ赴いた。

昼間にトヨタ会長が名古屋市長を乗せてドリフトしたのが手前のGRヤリス。
ドライバー名は会長を表す”Morizo”だった。

Morizo車。

トヨタ会長とともにでも走行をしたラトバラ氏のヤリス。

2台を木の向こうの名古屋城と絡めて。

展示車の見物をそこそこで切り上げ、ラリー2の車がセレモニーから引き揚げてくるのを待った。

ラリー2の先頭に現れたのはランチア・イプシロンの21号車。
ランチアは今年が日本ステージの初参加となるメーカーのようだ。

www.as-web.jp

フォードの25号車。

シュコダの23号車。

トヨタヤリスの20号車。

トヨタヤリスの26号車。

トヨタ・ヤリス27号車。

トヨタ・ヤリス30号車

チェコの自動車会社シュコダの31号車。

シトロエンの32号車。

またしばらくしてからラリー3グループの車がやってきた。

35号車

34号車

36号車・フォード

ラリー2, 3に登場すのはここにあげた以外にも数台あった。写真がないのは失敗しため…

ラリー3の車の積載中の図

最後までお使いいただきありがとうございました。土日の試合の様子についてはまた記事を記載予定です。

オーロラを見に行く⑦ 北欧でのオーロラ観測・撮影・絶景ドライブ@アビスコ・ラップランド・スウェーデン

オーロラを見に行く。多くの人がいつかはと叶えたい夢の一つであろう。
北極圏を経由する航空便が増えたこともあり、飛行機から眺める機会は以前よりは増えたがそれでも見かけることができるかは運次第。

今回は北極圏のスウェーデン・アビスコでそんな夢を叶えてきた話だ。

羽田→ミュンヘン→コペンハーゲン→ストックホルム→トロムソと飛行機を乗り継ぎ、最初のオーロラハンティングの地のトロムソに向かった。トロムソでは1泊のみ過ごしたがオーロラを見ることはできなかった。トロムソとは別にアビスコでもオーロラ観測を予定しており、バスとレンタカーを乗り継いで現地へと向かった。ここまでが前回までの記事の流れである。以下に一覧を示す。

オーロラを見に行く① ANAの特典航空券で羽田からミュンヘンへ NH217便エコノミークラス搭乗記 B787-8 - にらさき日記
オーロラを見に行く② SASでドイツ・ミュンヘンからデンマーク・コペンハーゲンへ スカンジナビア航空SK662便 エコノミークラス搭乗記 A320 - にらさき日記
オーロラを見に行く③ SASでデンマーク・コペンハーゲンからスウェーデン・ストックホルム経由でノルウェー・トロムソへ スカンジナビア航空SK1422、SK1492便 エコノミークラス搭乗記 A320 - にらさき日記
オーロラを見に行く④トロムソでのオーロラチャレンジとナルヴィクへの移動 in ノルウェー~北極圏の美しい吊り橋、ハロガランド橋やナルヴィクにある広島の石など~ - にらさき日記
オーロラを見に行く⑤ ~ヨーロッパでレンタカーを運転する:真冬のラップランド:スウェーデン、ノルウェーのナルヴィク起点のHertzレンタカー編~ - にらさき日記
オーロラを見に行く⑥ オーロラ鑑賞の準備~場所・時期・服装~ - にらさき日記 

1. アビスコDay1
鉄鉱石輸出港がある北極圏の都市・ナルヴィクからスカンジナビア山脈の湖のほとりにあるスウェーデン・アビスコのゲストハウスまでレンタカーで向かった。

雪道を100㎞ほど走って宿のあるアビスコに向かった。

ゲストハウスの宿泊客は全員オーロラ目当てであったようだった。

ゲストハウスからスノーモービルでオーロラ観測に向かうツアーもあり、ツアーに行ってきたゲストとお話して観測場所を教えてもらった。

オーロラがよく見えそうな予報だったので、宿についたばかりではあったが、向かうこととした。

その場所がこちらで、既にGoogleMapに”Northern lights view”として命名されていた。宿からは1km強であるが、途中までは車で向かうことができ、駐車場もあった。途中からやや雪深くはあったが、かんじきを持参しており、難なく向かうことができた。

途中の駐車場の時点で見えたオーロラがこちら。この2枚はiPoneで撮影したもの。iPhoneでも肉眼で見える程度のオーロラであればある程度の撮影はできる。

車を運転していてもこれくらい肉眼で見ることができる。肉眼で見られるオーロラであれば、十分iPhoneで撮影できる。

駐車場から500mほど歩いて現地に到着した。歩いている間もずっと頭上にオーロラが見え続けていた。22時を回っていた頃であったが、ほかに人影はおろか動物の気配も全くなかった。

現地についてからすぐに三脚をセットして撮影したのがこちらの写真。

EOS R8 16mm f2.8 0.5s ISO6400 WB蛍光灯

軽量フルサイズ機を謳ったEOSR8に明るいレンズを装着して撮影した。オーロラは事前に想定していたよりもかなり動きが早く、シャッタースビードは長くとも5秒以内に抑えないと形がぼやけてしまうようだ。ホワイトバランスは白熱灯か蛍光灯が好みに合った。

中心やや右に見えるのはゲストハウスとスーパー、数件の住宅があるアビスコの中心部

赤っぽいオーロラも見ることができた。

地上景がわりかし良く写っているのはまだ月が出ている時間帯であったからだ。オーロラ観測に月が出ている日は不向きとされることが多いようだが、はっきりとした強いオーロラであれば今回の様に地上の景色と絡めて撮影できる。

オーロラ越しに星空もよく見えた。

この後は1時間ほど粘ったがオーロラは薄くなってしまった。

オーロラは薄くなってしまった。左端の山肌が自動車のライトで照らされている。それほど交通量はないが光量の強い車が多い土地柄なので、撮影中に通られるとこのようになってしまう

オーロラが薄くなってほどなくして月が沈んでから急に真っ暗になってしまったので山の中での撮影を切り上げて道路沿いの撮影地へと戻った。

次の撮影地はこちら。トーネ湖越しにオーロラを望むことができる。

トーネ湖越しのオーロラ。山の向こうはノルウェーだ。

管理人の現地車とオーロラ

待ってもあまり強いオーロラは出てこなかったので、最後にレンタカーと記念撮影して、この日の撮影を終わりとした。ゲストハウスに戻って就寝とした。

2. アビスコDay2

翌朝、目が覚めると既に日が出ていた。1月末の北極圏は極夜明けであり、高度は低いものの4‐5時間ほど日が出ている時間がある。

この日の日が出ている時間は、キルナ鉄山からナルヴィク港への鉄鉱石輸送列車を撮影しつつキルナへと向かうこととし、素晴らしい晴天のもと快適なドライブを楽しんだ。
※鉄鉱石輸送列車の記事は追って別記事にする予定です。

モルゲンロートに照らされたトーネ湖越しの山々。

路面状況はこんな感じ。

キルナの街に出たのは、手ごろな食事を食べたかったからだ。

ゲストハウスの隣にスーパーマーケットはあり、ゲストハウス共有の調理器具を使って野菜炒めや肉を炒めるくらいのことはできそうな雰囲気であったが、なんとなくキッチンのムシムシした湿気が嫌だったので滞在中に料理はせずじまいであった。

滞在中はゲストハウスの隣のスーパーで購入したカップ麺、パン、総菜を食べていたが、焼いた肉を身体が欲していたために40kmほど離れたキルナのバーガーキングに向かったのだった。

北欧価格のハンバーガーエネルギーチャージをして、この日もオーロラ撮影に向かった。撮影地は前日の2か所目と同じロードサイド。

真っ白な湖面とオーロラ

ラップランドのシンボルのU字谷であるラップポルテン(Lapporten)とオーロラ
いつか雪のない時期にラップポルテンの麓まで行ってオーロラを撮影したい。

別日に撮影したラップポルテン。若干谷底が手前の谷に隠れてしまっているがきれいなU字谷をしている。

前日撮影したロードサイド撮影地から移動して別のロードサイド撮影地に向かった。場所はこちら。

左上の北斗七星とオーロラ。

同じ場所から。

オーロラが徐々に強くなってきた様子。

かなり強くなってきた。緑の上の赤いオーロラも見える。

赤いオーロラは消えたが、緑のオーロラは強くなる一方。

大迫力

更に部分的に強くなった。

空いっぱいのオーロラは収まる気配がない

徐々に収まってきた様子

向きを変えると、緑の下にピンクが見えるオーロラも見えた。

同じ場所から。前日も晴れていたが、この日は雲一つない様子。

反対側を向くと、こちらでも強いオーロラがみえた。

もといた向きを見ると再び赤いオーロラが出現していた。

円に近い形のオーロラは徐々に広がって行った。

地上には自分以外の生命の気配がなさそうな雰囲気の場所で、真緑のオーロラが音一つ立てずに空でゆらゆらと揺れ動いている様子は今でも強く印象に残っている。大自然に圧倒された経験だった。

寒さも限界になったので暖をとりがてら、車でもう一度最初のロードサイド撮影地に戻った。

一直線のオーロラではなく、やや広がったオーロラを見ることができた。

徐々に横に広がっていった。

左のオーロラが強くなっていき、渦を巻くようになった。

広かったオーロラは帯状に収束していった。

最終的に帯状になったオーロラも収まっていき、この日の撮影はこれにて終了とした。

3. アビスコDay3
そろそろオーロラの撮影には満足してきたのと、曇る予報であったためロフォーテン諸島のレーヌの漁村の赤い民家を前景にオーロラ撮影をする予定とした。

しかしながら、昼間の移動の途中にレンタカーごと路肩に落ちたことで、撮影意欲が消失して一晩寝て過ごしてしまった。このため、この日の写真はなし。一応宿の外でオーロラはうっすらと見ることができたが、ぼーっと眺めてカメラをだすことなく終わりにしてしまった。

帰国後になってはもったいないことをしたと思うこともあるが、振り返ってみてもメンタル状態的にこの日に行動しても更にリスクを増すだけだったようにも思う。

4. アビスコDay4

4日目の昼間はナルヴィク観光に充てた。訪れたのはナルヴィク戦争博物館とナルヴィク博物館だ。

ナルヴィクでは第二次世界大戦時の初期にナチスドイツとイギリス、そしてノルウェーが戦いを繰り広げたが、戦線の拡大とともにイギリス軍が引き揚げていったことで最終的に終戦までナルヴィクはドイツ支配下となった。この経過についての展示があるのがナルヴィク戦争博物館だ。

ナルヴィク戦争博物館に展示されているノルウェー軍艦を沈めたドイツ軍の魚雷。当時の日本の技術を利用して製作されたようだ。

もうひとつのナルヴィク博物館ではキルナ鉄山からのナルヴィクまでの鉄鉱石貨物輸送についての展示がされている。

ナルヴィク港の鉄鉱石積み出し設備

ナルヴィク港までの鉄鉱石輸送にかつて使われた機関車

この日はオーロラ撮影の最終日だった。車移動中に道の端々に見かけた氷瀑とオーロラを絡めることを思いつき、氷瀑とオーロラを撮影する日とした。撮影場所はこちら。

 

 

道端の氷瀑とオーロラ

オーロラと氷瀑。満月近く、地上景もきれいに写った

満月近く、オーロラと地上景の露出差が出てしまうものの、ある程度満足のいく出来だったので、いったんこの場所は切り上げて2日前の場所へ移動した。

月明りがないほうがオーロラはよく見える

だんだん強くなってきた

白く輝くようになった

視線を移すと真っ白な湖上でオーロラが輝いていた。

徐々に形を変えていった

曲がっていった

徐々に薄くなっていった

うっすらときえていった

ここまで撮影して暖房のきいた車内に戻ったところ、翌日乗車予定のストックホルム行の夜行列車が運休となっていることに気が付いた。

ヤバイ!ということで翌日の夕方のナルヴィク発ストックホルム行の航空券を慌てて確保した。空港までのバスも同時に確保した。

海外に限らず、オンラインでクレカを使った購入時にはSMSでのパスキーの利用が必須となるが、今回はTrip.comのApple Pay決済が利用できたため何とかなった。

一通り翌日のプランが整ったところで再度空をみあげたが、雲のない星空が広がっていたがオーロラの姿はまったくなかった。十二分に成果があったのでオーロラ撮影は切り上げてゲストハウスに戻って就寝した。


5. アビスコDay5

最終日。オーロラの撮影はもうできないが、素晴らしい青空はまだ続いていたので、湖を見渡せる場所で最後に絶景を堪能した。

冬の北極圏の日は高く昇らないので日が出ているあいだは常に山々がモルゲンロートの色となっている。

オーロラスカイステーションがある山が左の山。湖畔には小屋がいくつか見える。

何度かオーロラと一緒に写した山々は昼間も美しい。

北極圏は月の南中高度もだいぶ低かった。

ラップランドのシンボルのラップポルテン
この上に見えるオーロラを撮りたかったなぁ

湖畔にはずんぐりむっくりの小舟が陸揚げされていた。日本では蔵王や御在所で観光資源にされる樹氷も当たり前にみられる。

充分に湖畔を堪能してからナルヴィクへと向かって車を進めた。途中何度も絶景に車を停めたのでその際の景色を供覧する。

最後に5日間苦楽を共にした現地マイカーをラップポルテンと記念撮影した。
季節を変えてまた来たい。

国境付近の真っ白な山々

川の浸食による日本の山岳地形と氷河地形の違いだろうか、山々の形が日本と全く違う。

ナルヴィクの街に到着する前にフィヨルドを挟んで山が見えてきた。

やはり山の形が日本と違う。

フィヨルドに掛かるハロガランド橋。若干蜃気楼がみえている。

上の写真の撮影場所はこちら。

フィヨルドを挟んで渡った場所からも対岸の山々を見渡すことができた。

アビスコは湖の向こうに山々が見えたが、ここはフィヨルド

ただただ美しい

フィヨルド沿岸には家々があり、営みがあり、アビスコの無人地域とはやや趣が異なる。

ハロガランド橋

このままナルヴィクのHerzレンタカーに車を返却してナルヴィク空港からオスロ経由でストックホルムへと向かった。

オスロ空港にて。ナルヴィクなどのノルウェーの地方空港は軍事施設扱いなので撮影禁止とされており、注意が必要だ。

長々と最後までお付き合いいただきありがとうございました。美しい景色と思って現地に赴かれる方が一人でもいらっしゃったら嬉しいです。

オーロラを見に行く⑥ オーロラ鑑賞の準備~場所・時期・服装~

オーロラを見に行きたい!でもどうすれば!という方に届けばと思いながら執筆したのが今回の記事です。

管理人が撮影したオーロラ@スウェーデン・アビスコ

今回の目次は以下の通りです。
①オーロラとは
②オーロラを観測する場所
③オーロラの観測時期
④オーロラを見ることができるタイミング
⑤オーロラ鑑賞の服装について

①オーロラとは
オーロラとは太陽からのプラズマ粒子が地球の磁場に導かれて上空100-400kmの大気と衝突して発光する自然現象です。冬の寒い地域で見られる印象が強いですが、オーロラの現象自体は、地上からはるか上空の国際宇宙ステーションの軌道の高さに近いあたりで発生しており、地上の状況はオーロラの発生には関与しないとされています。
宇宙ステーションからのオーロラの様子はこちら↓

 

②オーロラを観測する場所
地磁気の関係で北緯/南緯60-70°の間のオーロラベルトと呼ばれる地域でよく見られます。具体的には以下の表に示す通りです。北極点や南米ではほとんど見られないようです。

ヨーロッパ スカンジナビア半島北部・ラップランド、アイスランド、グリーンランド
北アメリカ大陸 カナダ・イエローナイフ、フェアバンクス
オセアニア オーストラリア・タスマニア島、ニュージーランド・南島
南極大陸 南極点を含む地域
オーロラが見えている地域。北極周囲は北極点を中心にリング状の地域となっている。一方で南極周囲は中心が南極点からずれた、南極点~オセアニア付近の地域のリング状の地域である。南米や南アフリカではあまり見られそうにないのが特徴です。
画像出典:Aurora - 30 Minute Forecast | NOAA / NWS Space Weather Prediction Center

③オーロラの観測時期
オーロラが見られるのは太陽光の影響がない夜間です。季節はあまり関係ないようですが、夜間が長い冬の時期が観測には適しているでしょう。

極夜に近い時期に行くと、昼間の時間が短いので感覚が狂いますが、旅程が1週間程度であれば許容範囲かと思います。昼間の時間が短ければその分オーロラ以外の観光の幅が縮まりますが、旅行の目的に合わせて時期を選ばれるとよろしいかと思います。

また、オーロラを見るためには晴天は必須ですので、曇ることが多い時期は避けられたほうがよいかと思います。過去の天気実績などを参照しつつ時期を決められることを勧めます。

④オーロラを見ることができるタイミング

オーロラは夜間中ずっと出ているわけではなく、太陽の活動に合わせて強く出たり、全く出なくなったりしています。このためオーロラが出ていてかつ晴れているタイミングで観測に向かうことが重要となります。

オーロラの予報については以下のサイトが出していますが、当日の予報以外は割と外れる印象が多いです。当日の向こう数時間ぶんの予報は大体当たります。

・オーロラアラートby NICT:https://aurora-alert.nict.go.jp/
・Aurora go:https://aurorago.app/ja/map
・Space weather live_auroral activity:https://www.spaceweatherlive.com/en/auroral-activity.html
・Space weather prediction center:https://www.swpc.noaa.gov/products/aurora-30-minute-forecast
・Northern lights forecast(ノルウェー限定):https://www.norway-lights.com/

天気については、雲の無い条件になっていることが必要となります。日本でいう、SCWの雲予報のような現地のサイトを探してみましょう(今はAIが探してくれるでしょう)。管理人はVentuskyと現地・ノルウェーの天気予報を利用しました。Ventuskyは世界中をカバーしており、雲量の予測のシミュレーションもできるのでお勧めです。WindyもVentuskyに似たサイトです。

・Ventusky:https://www.ventusky.com/ja
・Windy:https://www.windy.com/
・ノルウェーの天気予報:https://www.yr.no/en

いろいろなサイトやアプリがありますが、現地でいきなり使いこなすのはやや難しいのであらかじめスマホにいれて少しづつ触ってみるのがよいかもしれません。

 

このような調べる労力を避けたいのであれば、現地のバスツアー、スノーモービルツアーなどを使っていただくと良いでしょう。おおよそ1万円からあると思います。

なるべく自分でやってしまいたい、自分の都合に合わせて観測をされたい方はレンタカーを借りて観測に向かわれるとよいでしょう。

参考までに管理人がレンタカーを運転した様子はこちら→オーロラを見に行く⑤ ~ヨーロッパでレンタカーを運転する:真冬のラップランド:スウェーデン、ノルウェーのナルヴィク起点のHertzレンタカー編~ - にらさき日記


⑤オーロラ鑑賞の服装について
‐20℃を下回る環境で全体として服装で重要なのは「外気にさらされる肌の面積を減らす」ことと「雪でぬれた際に体温を持っていかれない素材のものを使う(特に靴下)」の2点だと思います。n=1の経験ですが、参考になればと思い、実際に着用したものを紹介します。

まずは帽子。ミレーの耳当て付きのキャップを使用しました。‐20℃近くになってくるとこれだけでは足りませんが、‐10℃程度の街歩きくらいはこれ一つで頭は何とかなりました。

www.magaseek.com

次にバラクラバ。街中でつけていたら確実に職質されますが、人気のないところでつける分には何の問題もありません。モンベルのものを使用しました。

webshop.montbell.jp

首の保温はバラクラバで結果的に充分でしたが、一応ユニクロの1000円程度のネックウォーマーを持っていきました。あってもよいと思います。

www.uniqlo.com

上半身の肌着はユニクロのエアリズムの上にヒートテックを着ました。ヒートテックの上にいわゆるミドルレイヤーのフリースを着て、その上に上着としました。

上着が極暖だったのでそれ以下のレイヤーの機能は正直あまり関係なかった気がします。蒸れた汗が凍ってしまい、体温を奪われることだけは過去の経験から避けたかったので、肌着はエアリズムとしました。

 

今回使用した上着は、コロンビアが誇る超極暖のオムニヒートインフィニティの上着です。製品サイクルが早いようで公式HPからは消えていました。

item.rakuten.co.jp

このジャケットは-20℃の冷凍庫でもあったかいと宣伝していたのが購入の決め手になりました。価格も機能の割にお財布に優しいのがよかったです。
実際に使用して温かさは抜群でした。地下鉄車内では汗が噴き出してくるほど。防寒に加えて自分の体温の反射による保温があってこれまで使っていたジャケットとは温かさが段違いでした。

www.fashionsnap.com

 

撮影用のグローブについてはKANIの厚手グローブを使用しました。指先をだすことができるため三脚のセットやファスナーの開閉を手早く行うことができます。サイズがきつかったのでインナー手袋なしで使用しましたが、30分ほどの使用であれば問題なく撮影にいそしむことができます。それ以上になってくるとやや苦しさが出てきますが、レンタカー使用だったので、寒くなったら暖房をフルにした車に戻って身体だけ温めて、落ち着いたら再び撮影に行くということをしていました。

dc.watch.impress.co.jp

 

手袋には雪が入って冷たくなる不安が残ったのでもう一つハクバの一番温かいカメラマングローブを持参しました。こちらは指先を出すことができないのでタッチパネル操作はタッチペンを使いつつ、ということになります。手袋自体はかなり温かいのですが操作性が劣るのであまり使わず…という結果になりました。元々設定されていた価格の3-4割ほどで購入することができました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BKB28MP7?ref_=pe_63408012_578253412_t_fed_asin_title&th=1

https://www.hakubaphoto.jp/news/1135/?srsltid=AfmBOoqqdZ3_Bfn-hbd4BMuoGat9AYnXn6IFmF4Y_ahpJPNFiIqkIoeY

 

ソックスはメリノウールのものを使用しました。オーロラ撮影に限らず、雪原を歩く際は気を付けていないとブーツと足の隙間から雪が入り込んで靴下に染み、体温を奪い取ります。メリノウールは高価ですが、その分、雪にふれても体温を奪い取るようなことは全くなく、雪が靴にはいったことに気を付かせないほどです。

www.montbell.jp

 

ブーツについては、上着同様コロンビアが誇る超極暖のオムニヒートインフィニティを採用したのを使用しました。車の運転の妨げになりにくい靴を探した結果、足首が短いブーツを購入しました。

ただし、ブーツの足首部分が短いことで雪がブーツ内に入ってくることが嫌だったので足首部分を延長できるショートスパッツをモンベルで購入しました。 

https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1129817

 

最後に、雪中歩行時のためのかんじきを購入しました。正直いらないかと思って最安のものを持っていきましたが、想定以上に足が飲み込まれる深い積雪の場所で活躍しました。

雪中歩行するならかんじきは必須!

www.amazon.co.jp

 

若干テーマはずれますが、服装を決める際の各概念についてはこちらのモンベルの登山時の服装についてまとめた記事がわかりやすいです。

www.montbell.jp

かつて管理人が冬の知床羅臼で流氷撮影をした際に参考にさせていただいたこちらのサイトも併せてご覧になると参考になるかと思います。

blog.diuao.net


オーロラを実際に撮影した様子の記事は次の記事とする予定です。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

F1日本グランプリ2026@鈴鹿サーキット~番外編:セーフティーカーなどの裏方を撮影する!~

F1開催の裏では何台もの裏方の車が活躍している。活躍する場面がないほうがよい車もあるが、今回見かけることがあった車を紹介していく。

①セーフティーカー
②メディカルカー
③サーキットの車

①セーフティーカー
F1公式のセーフティーカーは会場に関わらず、2026年はベンツが務める。普通にスポーツカーであり、レース前にコースを疾走する迫力はレーシングカーに劣らないほど。

セーフティーカー

タイヤを軋ませて猛スピードでコーナーを攻めている図。

セーフティーカーはクラッシュなどで安全なレースができないときにコースに躍り出て先頭車の前に付き、レースの進行を抑制する。セーフティーカーが介入した際には全コースが黄旗となり、一切の追い抜きが禁止される。

決勝のクラッシュ時にF1マシンを連ねてサーキットを周回しているセーフティーカーの図。

セーフティーカー出動時の黄旗とSCのサイン

②メディカルカー
こちらもベンツ車。SUVとまではいかないがやや大きめのサイズの車となっている。F1決勝レースのスタート時は混戦での事故率が高いようで、事故に備えて1周目のみF1マシンについてコースを周回している。

メディカルカー

コースを曲がるメディカルカー

クラッシュ現場に駆け付けたメディカルカー

③鈴鹿サーキットの特殊車
3-1. メディカルカー
こちらはF1以外で使われるよう。

鈴鹿サーキットのメディカルカー

メディカルカーその2

救急車。やや旧型であるが公道を走れるようにナンバープレートを付けている。

3‐2. Extrication Car/Rescue Car(救出車)
両者の名称を区別している理由は謎である。

Extrication Car

Rescue Car

3‐3. ブルドーザー
冬季は除雪に使用されているものを使用していると噂のブルドーザー。クラッシュしたマシンの移動などに使用される。

クラッシュしたHAAS・ベアマンのマシンを移動させるブルドーザー。
車体後部には「株式会社信越建機」の文字が。はるばる妙高から鈴鹿に来たようだ。

F1は人・車ともに極限を攻めているので、一歩間違えると重大事故につながりかねない。今回の記事では転ばぬ先の杖として待機している裏方の車を紹介した。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/iatssreview/44/1/44_53/_pdf

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

F1日本グランプリ2026@鈴鹿サーキット~F1マシンを撮影する!その4:レッドブルとレーシングブルズ~

今回の記事ではチームごとにF1マシンをまとめていきます。
2026年のF1日本グランプリに参加したのは全11チーム22レーサー。鈴鹿サーキットのXの投稿に一覧があったためそちらの投稿を掲載させていただく。

文字起こしした一覧は以下。そのうち今回の記事で紹介する2チームを太字で示した。

Haas_ハース(31, Esteban Ocon; 87, Oliver Bearman)
Audi_アウディ(5, Gabriel Bortoleto; 27, Nico Hulkenberg)
Cadillac_キャデラック(11, Sergio Perez; 77, Valtteri Bottas)
McLaren_マクラーレン(1, Lando Norris; 31, Oscar Piastri)

Mercedes_メルセデス・ベンツ(12, Andrea Kimi Antonelli; 63, George Russell)
Alpine_アルピーヌ(10, Pierre Gasly; 43, Franco Colapinto)
Ferrari_フェラーリ(16, Charles Leclerc; 44, Lewis Hamilton)
Williams_ウィリアムズ(23, Alexander Albon; 55, Carlos Sainz)
Aston Martin_アストンマーチン(14, Fernando Alonso; 18, Lance Stroll)
Red Bull_レッドブル(3, Max Verstappen; 6, Isack Hadjar)
Racing Bulls_レーシングブルズ(30, Liam Lawson; 41, Franco Colapinto)

Red Bull_レッドブル
3, Max Verstappen

RedBullチームは昨年までのホンダエンジンからフォードエンジンに乗り換えた。

日の光を赤く反射していた雄牛のトレードマークがひときわ目立っていた。

Wiliams車を従えていた3号車!

決勝戦で大賑わいの直線を抜けていった。

セーフティーカーのタイミングではRacing BullsとAudiを従えていた

決勝2位のマクラーレン車を従える場面もあった。

最後まで濃紺の車体はカッコよかった。

6, Isack Hadjar

もう一台のRedBull車。

正面から!

ザルツブルグでRedBullモデルのF1実車の展示を見た管理人にとってはRedBullのマシンがサーキットを駆けて行く姿は念願の光景だった。

決勝戦で満席の客席前を駆けていく様子。

セーフティーカーの際にはグループのRacing Bullsの特別塗装車を引き連れていた。

Racing Bullsの後ろにはWilliams車とAlpine車が続いていた。

Audi車を従える場面も!

濃紺のデザインはずっと見ていられるほどにカッコよい。

RedBullはマシンのデザインがよく、昨年まで優勝圏にいただけに不完全燃焼感がもったいなかったように思った。推しチームの次回以降に期待!


Racing Bulls_レーシングブルズ
RedBullの系列チームながらマシンは同一ではないのが特徴。今回は特別塗装のマシンで参戦。マシンお披露目の様子はこちら。

www.redbull.com

30, Liam Lawson

F1日本GP特別塗装!

RedBullと同じく吸気口には紅い雄牛が輝いていた。

予選にて

予選にて

観客席を背に決勝レースを駆け抜ける

セーフティーカー走行時にはAudiとHAASを従えた。

決勝走行時

後ろ姿もカッコよい

ドライバーはこちら↓。

41, Franco Colapinto

予選走行時

リアウィングにはチェリーフレーバーのレッドブルの広告があった

白いボディが黒いアスファルトから浮かんでいた。

決勝では兄弟チームのRedBullを従える場面も

後ろ姿もカッコよい

決勝走行時