にらさき日記

20代男性のブログ。日常、旅行など

スミソニアン航空宇宙博物館の別館の展示機 ~旧日本軍機~

ワシントンDCにあるスミソニアン航空宇宙博物館別館には太平洋戦争時の旧日本軍機が展示されている。そのほとんどは日本国内に現存しないものであり、1機保存するだけで記念館が一つ建設されるほど貴重な機体である。

スミソニアン航空宇宙博物館別館に展示されている旧日本軍機

スミソニアン航空宇宙博物館の概要の記事はこちら。

ma-te.hatenablog.jp

1.紫電改

いわゆるゼロ戦の後継機の立ち位置の機体。1942年に川西航空機(現在の新明和工業)で製作され、初飛行を行い、それ以降大戦の後半に使用された。

展示機の塗装は1945年当時の長崎の大村にあった第343航空隊のものだそう。日本で唯一愛媛県愛南町に展示されている同型機も同隊のものだ。

紫電改

紫電改

紫電改

紫電改

紫電改(Georgeは米軍側のコードネーム)

「紫電改」はあいち航空ミュージアム名機百選No78として25分の1スケール模型が名古屋空港そばの博物館に展示されている。

2. 晴嵐(せいらん)

愛知航空機で製作された機体。フロートが装着されていることから分かるように、水上機である。伊号四百型潜水艦(3隻のみ竣工)に1隻あたり3機、伊号十三型潜水艦に1隻あたり2機搭載して目標近くまで輸送して、カタパルト射出して攻撃機として使う構想だった。構想の発案は山本五十六だったとされる。発案時は米国本土を攻撃する計画だったようだ。

晴嵐完成時には、ドイツの敗戦により英米艦隊が太平洋に移動してくることを防ぐために、攻撃の対象はパナマ運河となっていた。その後、さらなる戦局の悪化で最終的には目標を太平洋上のウルシ―環礁に変更された。近海まで到達したものの、実際に攻撃を実施する直前に終戦となり、潜水艦上から晴嵐は洋上に射出されて投棄された。潜水艦自体は日本に引き返し、途中で米軍に接取されている。

スミソニアンに展示されている機体は、実戦に作戦に供されることなかったようだ。Wiki上では愛知県内の工廠に戦後も残っていた機体を米軍が鹵獲、調査の上、スミソニアンに展示されたとなっているが、現地の展示板の説明では同機を海軍のAkatsuka Kazuo大尉が福山から横須賀に輸送して降伏したと記載されている。他に同型機は現存しておらず、現存する晴嵐はスミソニアンに展示されているこの機体が唯一とのことだ。

晴嵐 - Wikipedia  伊四百型潜水艦 - Wikipedia

晴嵐
垂直尾翼上部に折り畳みができるように分割線が入っている。主翼, 水平尾翼も根元部分で折りたたみができる仕様だ。wikiに折り畳み図が掲載されている。

晴嵐。翼の下は屠龍。

晴嵐の説明板。掲載されている写真は伊号400型潜水艦の晴嵐を搭載する筒状の格納筒

3. 屠龍

二式複座戦闘機とも呼ばれる屠龍は川崎航空機で製作された。エンジンを両翼に持つ双発機であり、それ故に搭載量が多いことが特徴。連合国での愛称はNick。大柄な機体ゆえに運動性が単発機に劣っていた。しかしながら、本土防衛時には大きく活躍したようで、中でも下関の小月飛行場の部隊は八幡製鉄所のある現在の北九州市を防空域に含めており、小倉(現在の北九州市)への原爆投下を変更する理由の一つになったと記載されることもある。

現存する期待はスミソニアンに展示されているこの機体のみ。胴体のみが展示されている。主翼や他の部品はスミソニアンのバックヤードに保存されているとのことだ。

胴体のみの展示のせいで管理人の写真が雑になっているが、帰国後に調べ物をした後に歴史を知り、大きく後悔した。

(二式複座戦闘機 - Wikipedia)

屠龍(晴嵐の翼の下の機体)

屠龍

4. 月光

日中戦争時、大距離出撃が戦闘機隊単独では無理だったため、戦闘機の能力に加えて航法、通信能力、航続力のある飛行機が必要とされて中島航空機で開発されたのがこの月光。1943年に制式採用された。ラバウルへのB17やB24による夜間爆撃に対して防戦を実施した。末期には厚木飛行場に配備され、関東の防空を担った。展示されている機体は横須賀航空隊に所属していたもので、現存する唯一の機体。

月光 (航空機) - Wikipedia

月光

月光

月光

「月光」はあいち航空ミュージアム名機百選のNo75として名古屋空港隣接の博物館に25分の1の模型が展示されている。

 

5. 震電

1945年6月に試作機が完成、初飛行は8月でそのまま終戦を迎えた。機体後部の水平尾翼を廃止して主翼の前に水平小翼を配置する形態を採用した。これは従来の戦闘機の主翼以遠の機体尾部のスペースを省略して機体をコンパクトにし、より高速飛行を可能にすることを目的としていた。終戦時には一機が完成しており、数機が組み立て途中であったが、完成していた初号機のみ蓆田飛行場(現福岡空港)の格納庫に保管され、残りは焼却された。初号機は研究のために米国に輸送され、解体された状態での保管後、現在は前部のみスミソニアン航空宇宙博物館で展示されている。他に映画の撮影用に使われた同型機の模型が大刀洗平和記念館で展示されている。

震電 - Wikipedia

震電

震電(手前)

震電

6. 橘花

橘花は中島飛行機で製作された双発ジェット戦闘機で胴体下に爆弾を搭載して目標艦に対して爆撃を行うことを想定していた。ドイツのジェット戦闘機メッサ―シュミットMe262のジェットエンジンを基に製作しようとしたものの、ドイツから得た設計図を持ち帰る潜水艦が米軍に沈没させられたためエンジンは大部分が日本独自開発となった。初飛行は1945年8月7日で、このときが日本で初めてジェット機が飛行した瞬間だった。

橘花にはネ20エンジンを2基搭載されていた。現在、ネ20エンジンは3基が現存しており、うち2基はスミソニアン航空宇宙博物館に、残り1機は東京都のIHIそらの未来館(通常非公開)に展示されている。スミソニアン航空宇宙博物にあるはずのネ20の2基の場所はわからなかったため写真はない。なお、帰国後に航空機のエンジンをまとめて展示してある場所にあるとの記事を見かけた。

橘花

橘花

橘花

橘花

橘花

橘花(名機百選 No.80@あいち航空ミュージアム)

桜花も所蔵されているとのことだったが、展示はなかった。

展示の全体を通じて旧日本軍の性能が良いあるいは当時の最新鋭の機体を収蔵している印象だった。また、B29の翼の下に旧日本軍機が展示されていてどうこうと言われることが多いが、収蔵機数が多く仕方ないことなのかもしれない。同時期の英米軍機も旧日本軍機同様にB29の翼の下に展示されているので意図があってこうした方法で展示をしているわけではないだろう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。