にらさき日記

20代男性のブログ。日常、旅行など

紅葉のばんえつ物語を撮る! 

11/23は勤労感謝の日で今年は日曜にあたるが、振替休日により11/22-24の3連休ができた。管理人はそれまで、11月の週末は何らかの予定が入っていたが、ようやく完全にフリーな週末だったのでどこかに出かけようかと天気予報とにらめっこしていた。

supercweather.com

当初は白馬の三段紅葉の撮影にでも向かおうかと思ったが、ピークは11月上旬で既にシーズンオフしつつあるようだった。

vill-hakuba.nagano.jp

以前より新津~会津若松を走っているSLばんえつ物語が気にはなっていたが、いかんせん名古屋近辺からではアクセスが遠すぎることもあって足を向けられていなかった。

www.jreast.co.jp

しかし、その気になってよく調べてみると一番遠い会津若松まででも7時間弱で向かえそうだった。しかもばんえつ物語の新津始発は10時過ぎ。発車のタイミングに現地着するにしても3時前に名古屋を出れば間に合いそうだ。かくして金曜の仕事を定時で終わらせ、早めに床に就くこととした。

2時前に起床し、朝食を済ませてから新潟に向けてハンドルを握った。

深夜帯ということもあり、他の車はほとんどおらず、快適なドライブだった。中央道で伊那盆地・松本盆地・善光寺平を過ぎ、妙高高原で信越国境を越えた。信越国境はトンネルではなく、切通しでの国境越えである。路肩の緑と黄色のフォグランプの灯が連なっている様子が幻想的だった。数センチ積もっているとされたが雪はほぼ見られなかった。タイヤ交換をしておらず、夏タイヤのままで不安であったが杞憂に終わった。

米山SAで佐渡島を眺めつつ夜明けを迎え、米どころを貫く北陸自動車道を北上した。新潟中央ICで磐越自動車道に乗り換え、いったん新津ICで降りて給油をし、再び磐越自動車道で最初の撮影地に向かった。

ちなみにばんえつ物語号の撮影地一覧はこちらのページが大変参考になる。

今回の最初の撮影地は阿賀野川を渡る様子が俯瞰できる峠道の途中のこちら。
現地に向かって気づいたのだが、明らかに撮影者関連のトラブルがあって地主様がお怒りの様子だった。異様ともいえる強い口調の看板が複数本並んでおり、とてもではないがすぐ近くの道の脇の空き地に駐車ができる雰囲気ではなかった(駐車禁止の看板あり)。仕方ないので峠道のふもとの空き地に車を停め、30分ほどかけて峠道を登った。

入山禁止の看板があるので、道路を超えての撮影はできず、道の脇にこじんまりと三脚を構えた。

撮影地。木々を避けての撮影は1人が限界だろう。この状態で見回りのパトカーに遭遇したが何も言われることなく通過していった。

待つこと30分ほどで、キハ110が駆けていった。

普通会津若松行き。磐越西線 鹿瀬~日出谷。

ちなみに今回の撮影地の最寄りの鹿瀬駅近くには、第二水俣病の原因のメチル水銀を阿賀野川に排出した、旧昭和電工鹿瀬工場が位置していた。第二水俣病の原因のメチル水銀がこの工場由来であることが判明した経緯は興味深く、気になる方はリンク先のPDF(新潟水俣病問題に係る懇談会 最終提言書 p6)を参照頂きたい。

しばらく待つと最新鋭のGV-E400系の姿も見ることができた。叶うことならキハ40を眺めたかったが時の流ればかりは仕方ない。

普通新津行き。一昔前はキハ40の運行だったのだろう。
GV-E400系は磐越西線から導入が始まった。

まもなくして谷間にSLの汽笛が響いてきた。ゆっくりと7両の客車を牽いてC57が姿を現した。本日のメインのばんえつ物語号だ。

SLばんえつ物語号。上り列車はDE10が後補機についているが、いい感じに煙を吐いてくれた。SLは煙が出ているに限る。

曇っていて寒々しい写真だが実際に寒かったので問題なかろう。

 

撮影後、山を下り、次の撮影地の下見に向かった。追っかけの自信はないので復路便の撮影地として目をつけていた一の戸橋梁に向かった。一戸橋梁は一戸川が阿賀野川に流入する直前に位置する。

一の戸橋梁と背景となる冠雪した飯豊連峰を一緒にバランスよく写せる撮影地を探したが見つけられなかった。あとで思えば阿賀野川沿いの堤防上だったんだろう。また探しに行かねば。

想定していた撮影地が見つからなかったので、一の戸橋梁の下でスタンバイしたがどうも晴れそうにもない。空は雲で覆われていた。

このまま晴れそうにもなかったので一の戸橋梁は諦めて雲天用の紅葉の撮影地に向かった。まもなくしてドラフト音を響かせ汽車がゆっくりとやってきた。

紅葉の中を駆ける

白煙を吐いてくれたおかげで紅葉とのコントラストがついてくれた。狙い通りの画が撮れてうれしい限り。

 

この撮影後すぐに日没だったのでこれ以上の撮影は駅でのバルブくらいしか選択肢がない。長時間停車する津川は編成を入れた写真をとるのは厳しそうだったため、磐越道を使って新津駅に先回りすることとした。

新津駅のコインパーキングに車を停め、三脚をもってホームへ向かった。既に先客がおり、彼らの後ろで構えることに。会津若松からの長旅を終えた汽車がホームに滑り込んできたが隣には最新鋭の気動車GV-E400が発車を待っていた。しばらくしてGVが発車していくのを見届けて本番の撮影。

新津駅 バルブ

撮影を始めてから間もなくしてバックで汽車はホームを離れていった。ばんえつ物語号が新津駅に着くのは18:43。ホームを離れていったのは19時前だった。

関西からいらしていた同業者の方が管理人の地元駅に何度か撮影に来られたことがあるとのことで会話が弾み、そのまま一本後の特急しらゆきも撮影することに。現れたのはまさかの上沼垂塗装の車両だった。

上沼垂塗装 しらゆき 新潟行き

余談だが、かつての大阪発札幌行きトワイライトエクスプレスは19:45に新津駅のばんえつ物語号と同じホーム発で、客扱いもあった(本州最後の客扱い駅でもあった)。引退から10年経ってしまったことに隔世の感を感じる。

管理人はかつて札幌から富山までトワイライトエクスプレスに乗車したことがあるが、その際に地震で5時間半遅れとなった思い出がある。その際に長時間停車したのがこの新津駅だ。

トワイライトエクスプレスはもう一度乗りたいと思っている間に引退してしまった。海外に目を向ければユーロナイトなどの客車夜行列車はまだあるものの、日本の治安の良さの中で客車夜行を経験することはもうできないだろう。

しらゆきの撮影後、翌日朝の只見線の撮影に備えて会津若松の快活へと車を走らせた。翌日の快晴の予報に胸を躍らせ、快活のマット席で眠りについた。

 

翌朝飛び込んできた外の景色は真っ白。かなり濃い朝霧だった。磐越道の黄色いフォグランプの威力を実感しながら半ばあきらめの境地で車を走らせた。

意外にもトンネル一つ越えるだけで気温が上がっており、霧は晴れていた。そのまま近くの道の駅に車を停め、撮影地へと向かった。

撮影地にはカメラマンが多数。ただ、これまでの現場と違い、ほとんどが外国(おそらく台湾)の方だった。きっとインスタ映えスポットとして大流行した場所なのだろう。

程なくして只見行きの普通列車がゆっくりと通り過ぎていった。

普通 会津川口行き
山陰に隠れてしまうので切り取って撮影。

1本列車を撮影してほとんどの撮影者は帰ってしまった。良いポジションが空いたのでそちらへ移動。20分待つだけで日が移動して山陰も良い感じに無くなった。

次の列車通過時には、色づいた山々を写すことができた。

普通 会津若松行き

水面に姿を写して走り去っていった。

なお、只見線の概要はこちらがわかりやすい。2011年に寸断されて2022年に全線再開になった歴史や撮影地などが載っている。

tadami-line.jp

9時台の2本の列車が去ったら次の列車は午後になってしまうので、只見線の撮影はここまでにして、ばんえつ物語号の撮影へと転戦とした。

ばんえつ物語号は前日俯瞰撮影をした橋梁を南側から眺めるポイントへと向かった。
最後まで雲の動きが読めなかったが、列車に日が差して煙もベストな位置に流れて満足の行く画が撮れた。

上りばんえつ物語号 鹿瀬~日出谷
通過直前に日が出てくれた。この1枚が撮れただけで今回の遠征の元は取れた。

撮影後、前日に場所を確認した一の戸橋梁へと移動。やや早く到着し、じっくりとセッティングに時間を使うことができた。

上りばんえつ物語号 山都~喜多方 一の戸橋梁
右下に顔を出している山々はもう冬景色である。

上り列車の撮影はここでおしまいとして、復路の下り列車の撮影地に向かった。駐車場がなさそうだったので、喜多方駅のコインパーキングに駐車したが、実際は撮影地近くの公園に駐車場があった。

ここまで景色重視の写真ばっかり撮影してきたので最後くらいは正面からの撮影とした。

喜多方駅を出て加速するC57

ストレートを進んできた

真正面を抑えた。ナンバープレートに合わせた色調のヘッドマークが美しい。

撮影に満足し、長距離ドライブの前の休憩をとるべく、新津にて栄養補給&睡眠タイムとした。

つけ麺@さんぽう亭 新津店
新潟民のソウルフードのようだ

せっかく今回の遠征で土地勘がわかるようになったのでまた新緑の頃に訪問したいと思いつつ帰路についた(おおよそ0時発6時着の行程)。次回は会津若松城や大内宿も訪問したい。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。