ドイツ近くのフランス国境にはアルザス=ロレーヌ地方がある。同地域は古より国境紛争地帯であった。
17世紀以前は神聖ローマ帝国の領地であったものの、17世紀に徐々にフランス領へと編入されて行った。しかし、1871年の普仏戦争でのプロイセンの勝利により、アルザス=ロレーヌ地方はプロイセンの領地となった(小説「最後の授業」はこの時期が舞台となっている)。その後、1919年にドイツが第1次世界大戦で敗れたことにより同地域は再びフランス領となった。さらに、1940年になってナチスドイツがパリを占領した後、再びドイツ領になったものの、第二次世界大戦中の1944年にフランス領となっている。上記の経緯を踏まえ、アルザス=ロレーヌ地方の主要都市であるストラスブールには現在、欧州議会が置かれ、独仏両国のみならず、欧州の中心の地となっている。
長々と続いた同地域の紛争の原因は鉱物、すなわち鉄鉱石と石炭であった。
今回取り上げるのは、そんなアルザス=ロレーヌ地方の近くに位置するドイツのザール地方にあるフェルクリンゲン製鉄所だ。ザール地方もまた石炭の生産地であり、アルザス=ロレーヌ地方の鉄鉱石と併せて石炭を利用して製鉄をしていたということだ。
1873年ごろより建設が始まり、19世紀にはヨーロッパ有数の製鉄所となった。第2次世界大戦でもほとんど空襲の被害を受けず、ドイツの戦後復興にも大きな役割を果たした。しかしながら1960-70年代の価格競争と過剰生産により、業績低迷し、1986年に操業停止となった。その後、取り壊されることはなく、今に古の姿を残している。
ちなみ日本の官営八幡製鉄所は1901年に操業開始し、今も同じ場所に日本製鉄の製鉄所がある(施設自体は建て替わっていると思われる)。
今回は彼女氏が同地方のザールブリュッケン近郊に留学中ということで2025年3月に訪問した記録だ。彼女氏は平日で空いてないので、お出かけできるのは道楽彼氏のみということでソロ観光になった。
フェルクリンゲン製鉄所の最寄り駅はそのままVölklingenである。同駅に足を踏み出してまず出迎える光景は貨物ヤードだろう。製鉄所が閉鎖となっても鉄鋼業はまだ付近で盛んのようだ。





Völklingen駅を出て徒歩15分ほどでフェルクリンゲン製鉄所に入ることができる。
見学はもちろん有料だ。


経路らしき矢印があるものの、自由に歩き回れる。
最初の建物は送風機のある建屋だった。



建屋の外には工場を駆けていたであろうスイッチャーがいた。





ベルトコンベア跡の奥の建屋には鉄鉱石の貯蔵庫と思しき建屋(Burden Shed)があり、中に入ることができる。












鉄鉱石置き場と思しき建屋を抜けて、狭い通路を進んで行くと”Sintering Plant”に着いた。鉱石の粉末を高温で焼いて、鉄鉱石の塊の焼結鉱を作る設備のようだ。



建屋を出てごちゃごちゃしている中を進んだが、道を間違えたようでどこにいるかよくわからなくなったりしたが、何とか溶鉱炉の上の展望台へと向かう道へとたどり着いた。








写真の左右端には高炉から出た気体成分を処理する配管らしきものがある。













降りて入口に戻る途中に2つスイッチャーが残されていた。


ここまでで時間切れだったので博物館を出ることした。

Saar Railの親会社であるSaarstahl AG(ザールシュタール)は今回訪問したフェルクリンゲン製鉄所の近くに製鉄所と圧延工場を所有している。
駅で彼女氏お手製のサンドイッチを頬張り、帰りの電車に揺られて宿に向かった。

ドイツでは日本でいう普通の食パンよりも黒パンがメジャーだが、口に合うのは普通の食パンのほうだろう。
帰宅後、彼女氏と合流して次の目的地へと向かった。
フェルクリンゲン製鉄所は「地球の歩き方」では隅のページで紹介されている程度の扱いだ。しかし、かつて操業されていた製鉄所がほぼそのまま残されていて、その上自由に歩き回ることができるのは世界でもここくらいかもしれない。
ザール地方の中心都市のザールブリュッケンから10分ほどの立地で、ストラスブールからは電車で2時間半ほどで向かくことができる。近くを訪れる方はぜひ立ち寄って頂けたらと思う。訪問時間は3時間あっても足りないくらいだった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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