記念すべき第一本目の記事です。
8年前の2015年、JR東海からキハ40系列が完全引退して国鉄車両は211系4連×2のみになろうとしていたころの話。
管理人は、もともと鉄道を教育の一環として親から与えられた図鑑から鉄の道へと導かれて中学の頃にはネット上のブログやニュースを漁るようになっていた。その中で国鉄時代のレトロな車両が三重県を走っていて引退が近い、という情報とそれは毎日使っている電車の終点から先で走っているらしい情報を拾い、行けるのではないかと考え始めていた。
当時中学3年だったのでバイト収入などあるはずもなく、お小遣いを貯めて青空フリーパスで遠征の計画を立てた。そして友人と一緒ならOKとの親の条件の下で計画を立てた初めての遠征がこの引退間近のキハ40系列を追いかけるものだった。
10月25日の遠征当日まで時刻表とネット上の撮影地のサイト、そして地理院地図とにらめっこしてようやくプランを立てて朝イチで津に向かうことを決めた。

初めてのキハ40系列。津駅。
津駅からキハ48に乗車して最初に目星をつけていた撮影地の最寄りに向かった。


現役車両なので吊り広告は日常感あるものが。


しばらく乗車後、高茶屋で下車して目星をつけていた撮影地へと向かいました。

撮影地はこちら。日の出すぐの朝の空気が心地よかった。
(撮影地) https://rail.hobidas.com/guide2/archives/2015/09/post_765.html

キハ25導入前はキハ11 4連での運用だったと思われる。
キハ25を見送ってから当時のJR東海のキハ48の5連運用の322Dを待った。程なくして雲津川の橋を渡る音がして姿を現した。熊野市を4:48に1両で出発後、紀伊長島で4両連結して5両になって朝の通勤通学客を集めて亀山に向かう列車だ。

面まで日が回るのは夏至の頃でないと難しいのではないだろうか。
友人と合流して雲津川の堤防に移動して撮影を続行。朝、高茶屋駅で交換した国鉄風2連が東海色2連を引き連れて戻ってきた。
午前にこの付近で構えておけば、朝ラッシュ用の5, 4, 3連を回収することができた。

津市近辺は田んぼこそ多いものの普通に工場などがあり、そこまで田舎ではない。


撮った後に気付いたのだが、下り列車の撮影は雲津川を渡った先で堤防へのアプローチを降りてくるところで撮影したほうが良い絵が撮れたと思われる。次回への課題とした。
キハ40系の3連を撮影してから、高茶屋からキハ11の単行で多気駅と向かった。

多気駅にはキハ48が2連で留置されていた。昼間の需要が小さい列車はキハ11の単行で賄って、キハ40系列は朝夕に主に働いていた。

多気駅からは紀勢線から参宮線が鳥羽へと別れていくが、今回はそちらではなくて紀勢線の更に先の撮影地へと歩いて向かった。

多気以南では昼間もキハ40系列での運用があった。
紀勢線の多気以南は昼間の列車がほぼないため、多気駅前の商店で昼飯を購入して駅の北側の櫛田川の撮影地へと向かった。
まず来たのはキハ25。



相可~多気で撮影した多気行きの普通の車両をそのまま使って亀山行きにしていた。
ここまで撮影してから次の撮影地へ向かうために駅に戻り次の撮影地の最寄りの一身田へと向かった。

古レールのホーム上屋と新型のキハ25が対照的。
一身田から撮影地へ向かう途中に踏切で止められて、見落としていたキハ3連が目の前を通過。惜しいことをした。

狙うはキハ40系4連を2本。
現着後、1本目が通過。本番は2本目なので後ろ撃ちのみで済ませる。

恐らくキハ40系列2両で1ユニットを組んでいて、2ユニットで組成したのだろう。
しばらくして本番。雲一つない青空の下、夕方の斜光線に照らされて東海色がやってきた。この日のベストカットはこれに決まり!

しばらく待てばキハ25が来るのでそれをこの日の締めとすることにした。

このまま撮影仲間と一身田まで歩いて帰宅。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。